東北新幹線の車中から。
車窓の風景が、
福島と宮城の県境トンネルを超え、
蔵王連峰を左に過ぎ、
景色が里山から田んぼに移り、
そして、ぽつぽつと住宅が見えてくると、、、
そこは、岩沼、名取の街です。
名取川を新幹線車中からはじめて撮りました。
南仙台あたりの名取川は浅くて流れが美しい川で、
自分の住んでいた10数年前は、初夏の頃になると網を投げて鮎を捕まえる地元漁師さんがそれはのどかに漁をしていました。
自分も子供を連れて、石ころを積んで川の流れをつくったりして遊べるほど身近で誰でも入れる川でした。
--- 今はどうなんだろう。。。
写真で写っているように、川原は未だ広く、流れもやさしそうで・・・あの頃のままのように見えます。
私の家は(今は人に貸しています)、この川の先にある山、その高台にあります。
洪水や地震の心配のない点で選びました。
この名取川は高台から眺めると、海まで続く絶景の川として見えます。
震災の日。夕方。
津波を伝えるニュースで、私の耳に入ってきた第一声は、
「名取川を津波が逆流してのぼってきています」
という言葉と記憶しています。
「えっ!?あの名取川が逆流!?」
周りの人達はその大変さ、一大事にまったく気づきません。
それは当たり前。名取川の河口も周辺の街も知らない訳でしょうから。
--- この懐の広い川が反乱すると、、、
海からこの写真の山の高台まで平野一辺倒な南仙台の町が無くなってしまう。。。
そんな危機感を一人抱いたわけです。
仙台の街はこの川の北側で、長町、河原町と続きます。
この名取川を津波が逆流して、仙台市の南側から町を津波が飲み込むのではないかと本気で心配したものです。
天国と地獄。
結果的には、東部道路約6,7mの高さが防波堤になって、海側と山側とで津波の被害が大きく異なりました。
名取川もよくよく耐えてくれました。
* * *
河川敷の芝生がきれいに刈られている様子。
昔、長町に住んでいた頃よく散歩した歩道で、その変わらぬ様子に毎々安堵します。
駅中の広場ではいつも何かしらの地産品の市が開かれています。
この日は宮城県の地産品でした。
石巻の牡蠣味噌や気仙沼の茎ワカメなどが沢山並べられています。
それと今年産という「ホヤ」の瓶詰めも売られていました。
「ホヤ」は震災後初めて目にしました。
だいぶ海の加工品も戻ってきたようです。
* * *
この日の仕事は、経産省が主管の復興予算関連の仕事で、東北6県の事業者には特別な支援が付加される新規事業創出の説明会への帯同です。
当該業界の東北在住約100社が参加。
福島や岩手からも多く参加されていました。
もちろん、東北への優遇措置はありますが、新規参入のリスクも無くはありません。
この先、当事業を自分の会社の事業として営んで行く必要もあります。
総じて(仙台は別として)、東北の方々は地道でコツコツと仕事を積み上げていく風土があります。
説明会後、色んな立ち話がありましたが、”迷っている”というコメントが少なからずありました。
ある意味、時代を先取りする、または、その分野を先行する、ということになるので、自社としての投資も必要です。
福島のある会社の方は、”数十万円でも新規に投資するのは勇気と覚悟がいる”と仰っていました。
それはそうです、あれだけの震災で、天地がひっくり返る程の生活の変化があったわけですから、明日をそう簡単に信じられるわけがありません。
--- 東北バブル。。。
一部ではそんな言葉も耳にしますが(確かに、ランボルギーニで会場に来たボンも居た)、総じては厳しい実状が東北経済にはまだまだあると思います。
仕事を通して、東北経済の伸びに少しでも寄与できればと思っています。
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