皆様、おはようございます。
上海は、今朝も昨日同様、「もくもく雲霧日和」です。
昨日と比べると、もくもくも、全体的なミストのかかり具合がなんだかマイルド。
自分の思考の見直しや、なかったことにされてた感情の拾い上げが、昨日から今朝にかけて進んだこととも関係ありそうです。
なにしろ、空模様=心模様だから。
さてさて。
先日のお話なんですが、なぜかふと、映画『おくりびと』がみたくなりました。
お盆が近いせいもあるんでしょうか。
そういう、ちょっとした心のふるふるっとした動き、ああ、見たいな、っていう気持ちってすごく尊いなあと思うんです。
それである日、仕事が終わってから、ゆっくり鑑賞したんです。
もう何回も見ている映画なんですが、毎回心に残る場所って違うんですよね。
今回、とても印象的だったのは、主人公の大悟が父と河原に行きそれぞれの思いを託した石を渡し合うシーン。
これ、「石文(いしぶみ)」というんだそうです。
元々石好きな私ですが、前回まではそのことに気を留めていなかったのが今更ながら不思議で。
大悟が父親からもらったのはちょっとゴツゴツした大きめの石。
そして彼が父親に渡したのは、白くてツルツルの、一見したらかもめの卵みたいな石でした。
程なくして、父親は女と駆け落ちしてしまい、大悟はひどく傷つきます。
それからは、懸命に父の存在自体を忘れようとし、いつしか父の顔も思い出せないくらいになっていました。
ところがチェロ奏者として所属していた楽団が経営不振のため突然解散となり、大悟は故郷の酒田に戻ってきます。
そこで期せずして納棺師として第二の人生を歩むことになるのです。
映画の最後のシーンは、漁師町で孤独な最期を迎えた大悟の父を自ら「おくる」プロセスが描かれています。そして、父との遠くて長い別離を超え、心の深い部分でつながり直すところで幕を閉じます。
その際に、大悟の凍った心を氷解させ、2人の間を取り持つ重要な役割を担っていたのが「石」でした。
納棺するために父の体を清めていると、亡くなった父の右手が何かをギュッと握りしめたままであることに気が付きます。硬直した手をさするように、愛おしむようにゆっくりと解いて行くと、そこに現れたのは、白くてツルツルした小さな石。
それは、大悟が父に渡した石でした。
駆け落ちする時も持って出て、死ぬまでずっと肌身離さず持っているくらい、父は大悟を愛していたのですね。
そのことを石が父の代わりに大悟に伝えてくれたのです。
そんな大悟も、実はちゃんと父からもらった石を保管していました。
当の本人もそのことを忘れていましたが、ふとしたことで自分の子供時代に使っていたチェロのケースに新聞紙にくるんでとってあるのを見つけたのでした。
映画を見終わって、ああ、やっぱり石って素敵だなあ、としみじみ。
人が命を終えたとしても、石はずっとい続けて、思い出の記憶を静かにとどめている。
その静謐さが人の心を打つんだろうな、そんなふうに感じました。
今日はこれからゆっくり朝食をとって、部屋の片付けと荷造りしようっと。
そしてちょっとだけクリニックに出勤の予定。
夕方の便で帰国します。