最初コメントで書こうと思った内容、重すぎたのでもっと重くして記事にしました。





今回の理解増進法騒動は国民に伝わってないのが1番問題だと思います。というか、同じ文章を読んでいるはずなのに、右も左も全然読み方が違うので個人的には表現が悪いんだと思うんですよね。はっきりしない玉虫色がわるい。でも、玉虫色にすることで活動家を露骨に制限する意味合いを隠してたり…



推進派の仰る“デマ”も多いのは事実だと思いました。

例えば男性が女性のスペースを侵す懸念はあるにして、それを助長するというのは確かにデマでしょう。でも、修正前の文章だとそこがはっきりしなかったからこそ悪用を懸念されるのは必然で、指摘があったからこそ直ったと思うのでデマという批判は当たらないと思うんですが、未だにそこを議論してるのはもはやデマなのかなと思います。でも、そういう社会の懸念に丁寧に対応しない点で、やっぱり誠意か無いようにみえます。
さらにいうと、「すべての国民の安心」にまで踏み込んでいる点で、逆にアンチの人たちの声が過剰に拾われる可能性があるわけだし、当事者としたら逆に不安になるところでしょ?とすら思います。

さらには、チューチュー補助金スキームや過剰な思想教育という意見についてももはやデマと感じます。確かに補助金は出るにしてもそれが妥当などうなのかを議論しなきゃいけないと思うんです。NPOの活動は収益を個人の利益にしないことが前提ではあっても、ボランティアと違って自ら負担したもの(体力、時間、物資など)に対して相当の対価(経費)を受け取っても問題ないんですよね。というか、受け取らなければ公共性の高い活動を継続できません。それを行政が無関係の公務員を雇って活動させることが難しいからこそNPOに外注するための費用補填が補助金なので、補助金は必ずしも悪ではないし、補助金が出ないということは行政が責任を負うということ。その点を理解しないで批判を続けている人たちも沢山います。
活動内容がちゃんと補助金の目的に資するものなのか、不当に越えるお金を受け取ったり蓄えがないか。その点が満足されてなければ違法。そこは監査をしっかり受け開示して信頼を担保する。暇空氏の件のコラボ問題なんかは、その点で違法性が疑われてる。公共性を自分たちで線引して、活動内容や成果を不透明なままにして、経費を越える利益を得ていて、それが団体間の横のつながりで支え合って補助金ばかり流出させているのではないかという疑惑。その真偽は私がどうこう言えるほど知らないのでおいておきますが…

今回の件の場合もそういうスキームに利用される可能性は、補助金事業なんて当たり前にあったと思います。
でも、修正案でむしろかなり減らされたと思います。「家庭及び地域住民」の協力を得るという制限がかかったことで、“コラボ問題”のようにな指摘は起こり得ない仕組みになったと思います。地域が納得しなければ活動の根拠が得られない。つまりは補助金も出ない。過剰な思想教育にも使われないようになります。
逆に、これだけアンチが増えた中で、どこまで本当に大切な活動ができるのか…批判を受けたらやれない可能性すらでてきたわけで、むしろLGBTの既存NPOを潰すくらいの内容だと思います。

こういう点で、女性の権利を侵す法律案ではなく、むしろ左翼活動家の手足を縛る改正の要素や、強引な権利主張を制限する意味合いが非常に強い内容になった。だからこその立共や左派活動家は批判を強めてるように伺えます。


一方で当事者の理解を広め、国として取り組むという意思表示はできた。
国際社会(先進国)の潮流に合わせる必要がある中で、日本語を使わずに玉虫色の「ジェンダー・アイデンティティ」というグローバルスタンダードの言葉を使うことで批判もあるけど、逆にそこを網羅することで世界に向けたアピールにもなる。

その一方でG7で日本だけが権利保証されてないというデマが賛成側からも流れてきたり。エマニエル米国大使の活動とあわせて陰謀論に拍車をかけさせてしまった。やっぱり賛成派もおかしいところがおおい。


もう一ついうと、コミュニケーション不足のために対立の間に立たされているトランスジェンダーに対して、この議論の中で激しい誹謗中傷が多くなっているのも事実。さらには不快に思う非当事者への配慮がさらに必要になるという点で、LGBTすべて、とりわけトランスジェンダー当事者には生きにぬい時代にすらなると感じてます。

こういう強引さ、正直社会的に比較的強いゲイ主導の法案だなってのは正直思います…。1番キツイのはトランス女性でしょうね。でも、もうパンドラの箱が開いちゃったので…左翼活動家が作ったおかしな“LGBT紋所”を掲げる時代から、当事者が社会で共存していく時代を私達も生きていかなきゃいけないんですよ、やっぱり。

でも、この社会は、とりわけネットには極論も目立つけど、多くの人は心開けば、真っ当に生きていれば、受け入れてくれます。傲慢にならず、謙虚に、“普通”の価値観を大切にいきることが大切なんじゃないでしょうか。


とにかくコミュニケーション不足が何より。
右も左ももっとコミュニケーションをとって欲しい。
極端な意見や陰謀論に感情的になりすぎてる。
いろいろと個人的に危惧してることも多い。
少し良くなるかもと思うこともある。
そういう事実をしっかり積み上げて
是々非々で議論をしてブラッシュアップさせていくしかない。

この法案は必ず通ってしまう。
それなら良いところは良いで評価しつつ、
悪いと思っているところは本当に悪いのか、
どのように悪影響があったのかを正確に理解するべき。
その上で答え合わせをするしかない。

個人的にはこの法律は当事者と活動家を縛るものだと思う。
元に左派活動家は差別増進法だと懸念している。
活動家や犯罪予備軍が喜ぶ法律とは真逆になった。
その一方で表現の穴を利用される懸念はあろう。
どのようにその穴を塞いていくのか、
逆に当事者のために変えるべき内容もないのか、
しっかり検討して具申していく。
対立ではなく私は前を向きたい。


とにかく右も左も国論が大きく割れてしまった。
感情論が強まるからこそ、地に足をつけて見届けたい。






 
改めて、当事者として考えたいこと、、被差別被害者意識から抜け出して堂々と生きること。差別を無くすためには私達が被差別民であるという意識から抜け出さなきゃいけない。差別をされていないという実績を作らなきゃいけない。

しかし、私のようなオバサン当事者には難しい。なぜなら“過去に既に差別による大きな傷を負っているから”。差別はないという言説は“過去の自分の否定”になる。

だからこそ、若い世代にこそ期待している。若い世代が“差別はない”と言ってくれたら、それがあたらしい社会のスタンダードなんだと思う。そう言ってくれる若者の割合が増えたらいい。そうなるように私達は努力すべきだと思うし、そういう意見を踏み潰すのは良くない。そして、苦しみが本当に差別なのか、コミュ力の問題なのか、人間性の問題なのかをちゃんと考えなきゃいけない。

当事者支援はそういう判断力のない若者への意識・知識・経験の支援であるべきだと思う。被害者意識を際限なく膨らませないこと。非当事者の支援者にお願いしたいことは、ただただ寄り添うことじゃない。社会規範という尺度で測り直して、はみ出たところだけが課題であって、それをどう乗り越えるのかを考えてあげること。本人の問題なのか、相手の差別なのか、社会のルールがおかしいのか。



いろいろ複雑な思いになるLGBT理解増進法でした。成立してからいろいろ波乱を起こすだろうと危惧していますが、推進派の皆様には是非とも反対派の懸念がデマだと断じられた以上は、責任を持って成り行きを見守ってもらいたい。
反対派のみなさんも、疑いの目でしっかり法律の瑕疵を見つけていただいて、修正法の必要性を社会に問うていただきたい。他方で、法律憎し左翼憎しが行き過ぎて当事者憎しにならないようにご配慮下さい。LGBT法うんぬんとはさらに次元を超えた憲法レベルの差別をしようという方も見られますが、煽られた憎悪で不当に差別をした場合は、きっと社会は容赦なく差別を裁くと思います。そう信じてます。