今日久々に一番大好きなママ友と2時間ほどお話してた。あたしより少しお姉さんの人だけど仲良くしてくれてて可愛い優しい聞き上手で、大好きで憧れのママ。


 フルタイムの仕事に変えたけど体力的に無理だからパートタイムに変えたんだって。

 みんな子どもたちのためにお仕事頑張ってるのに、こんなゆうゆうと暮らしてるのが申し訳なくなる。


 このママ友、あたしが里親だってことも、子どもたちの大変なところも話してて、ママ経験のないあたしのいろんな相談に乗ってくれてる。


 子どもたちのことって親目線だけじゃ見えないし、ママ友たちも他人の家のことに真正面から教えてくれるわけがないし、だからこそ子どもたちを守るために気になること見聞きしたら教えてもらったり、うちの子たちにも目をかけてもらってた。今の地域で、素人ママが同じようなママとして過ごせたのも全部彼女のおかげ。ほんと感謝しきれない。


 里親って子育てをせずにいきなりお母さんになる人が多い。その地域のママたちの価値観とかネットワークとか今の時代の子育ての考え方とか全くわからない。こどもたちのあるべき論を持った大人が突然に親になるから、躾だの善悪論だの倫理観だの、教科書通りの子ども像を子どもに押し付けがちだと思う。



 実子を育ててるママとか、乳幼児委託・養子縁組の里親さんたちは、幼稚園でママ友たちと愚痴ったり共感し合いながら子どもたちのできるできない、好き嫌いを感じながら一緒に歩んでいくことができる。でも、思春期に近い大きな子を迎え入れると、個々の里親目線で「こどものあるべき姿」をすでに作ってしまってるんじゃないかって思う。そうなりやすいってあたし自身自分の経験で感じてます。それと同時に「親のあるべき姿」もまたイメージを持っています。


 でも、そんなものが空論だったってのが今の結論。子育ての現場を“べき”が支配したら子どもたちも里親もすごく苦しいと思う。初育児が年長児なら尚の事、子どもたちこそ何年も子どもをやってるけど、ママはいくら研修を重ねてもママじゃないところからのスタートだってことに気付くこと。


 自分で言うのもなんだけど、特に真面目で論理的なしっかりものだからこそ“べき論”が先に目標として設定されちゃう。そういう目標を持ってるときって、子どものことを見てないんですよね。子どもの行動と自分の理想を見比べてるだけ。


 過去の自分への戒めです。


 子どもの特徴やペースを見て、自分の今の位置を見てその子相応のお母さんに先ずはゆっくり追いつくこと。子どもの今過ごす世界に里親の目線も落とし込んで、一緒に歩みを進めて、やっと子どもたちと一緒に成長していけた。そう感じています。


 それを教えてくれたのも、ママ友たちとのコミュニケーションを教えてくれたのも、お友達の特徴や人間関係を教えてくれたのも、頑張らなきゃいけない事情に共感してくれたのも、でも頑張ってるあたしにいつか落ち着いた日々がくるように祈ってくれてたのも、みんなこのママ友のおかげなんだよね。


 コロナとお互い1年ズレて受験が続いて、フルタイムに変わったりでなかなかゆっくりお話できなかったけど、反抗期を終えてそれなりに穏やかになったあたしに、安心してくれたよう。


 高校のガチ部活でお金がかかるけど、申請するのヤダなぁってボヤいたら「それだけのこと、どれだけ難しいことをみちょまるちゃんは一生懸命やってるか!もらえるものは貰っていいよ!ガチ部活のサポート、みちょまるちゃんのことだから人一倍頑張っちゃうだろうけど、ちゃんと手を抜きなよ」


 このママ友から言われると誰から言われるよりも癒やされる。

 ほんとありがたい存在。大好き☺️




 ところで、子どもたちが育って、落ち着いたらみんなで温泉旅行行こうって約束してたけど、行っていいのか。子育ての悩みのあとはそっちの悩みに苛まれそう。