先週末から一気に快方に向かって、

最近は軽くなら動き回れるほどになりました。


ただ、泥水状態くらいにふっらふらです。


スーパーまで歩くこともできません。

主人に車で送ってもらっても

一つのお店を歩き回るともう限界です。


でも、吐き気や頭がぐらんぐらんすることはないです。


ただただ酔っ払いの千鳥足に似た心地悪さに疲れ切る。

転倒して怪我したり物を壊したりしないかだけが心配

そんな状況です。



上の子、本命の受験まで2週間だということで

毎晩夜遅くまで勉強してたり、本人も不安で仕方ないよう。


そんなときでも、お母さんのことを気にかけてくれたり、

下の子のいい加減さに私にかわり檄を飛ばしてくれたり、

「こんな時だからこそしっかりしなきゃ」意識が

どんどん芽生えてきてるような感じです。



成長に繋がったという意味ではこれで良かったと思う一方、

大切な時期に重ねてしまった申し訳無さも相まって複雑です。










最近、子どもたちとの話題。



あきんどナメローのペロリストや、

連続強盗殺人のニュースが話題にのぼります。




昔はペロリストのようないたずらを楽しいことだと思ってたから、いつか自分もやらかしてたと思っていたと思う。


今じゃそんな馬鹿はしないって当然言えるけど、あのまま施設で上級生の行動を見て育ってたらどうなったか…

と上の子がぼやいてました。


確かにそうだと思う。

 あの子達の施設、あの当時はすごいお兄ちゃんたちがいて大変だったのはよく知ってる。お酒タバコを低学年の子供がやってしまったのもそのせい。そんなお兄ちゃんたちの背中をみて育ってたんだもん。

 けど今は、これだけ理解できるようになってきたようで、親としても嬉しいし、すごい成長だと思う。


 ただし、1つ気をつけてほしいこと。

 今でも友達に誘われたり、やりたいって思ったときに、何も考えずに危ないことややっちゃいけないことをやっちゃうことがあるよね。「みんながやってたから…」って。ペロリストはイケないってわかっても他のことがわからないことまだまだある。お店や街中で行動するときに、ちゃんと他の人の気持ちを自分だったらどうか考えてから行動しようね。と諭す。


 こんなで多動気味の子どもたちを制御するのは無理なんだけど、可能な限り伝え続けていくしかない。




 





 ところで、こういう事件の責任は里親にどこまでかかってくるのだろう…


 正直、うちにやってきたときの子どもたちは酷かった。町のものを壊したりするのが平気だった。マクドナルドやコンビニの店員を茶化すYou Tubeの動画とか見て大笑いしてた。そんなこの子達の価値観を否定したり動画を制限かけると口も聞いてくれない時期もあった。うるせーババァ扱いもされたし、みんなやってんじゃんってあしらわれた。小学生で酒もタバコも早く大人になってどうどうとやりたいとか、少年院に入ることがカッコいいとか。

 偏見は持たないでくださいね、あくまでも施設育ちでもかなり特殊な環境にならざるを得なかったうちの子たちだから…それも大きくなるまでそんな環境で育ってからうちに来てる。みんなこんな子たちだってわけじゃない。


 でも、こういう出来上がっていた子どもたちを里親として受け入れたときに、監督責任だの教育責任だのとれと言われても難しい…。今でこそ話が理解してもらえるようになったし、見ている世界や価値観が共有できてきたけど、ここまでくるのに3年4年はかかってます。その間にもし事件を起こされてたら…

 ある程度大きくなると行動範囲もやりたいことも増えてくるわけで、それを判断能力に乏しいからという理由で制限していくことは難しい。教師や教官に似た立場で事務的に処理することもできるけど、親子として関係を作ること、心をしっかり豊かに育てたいという思いを叶えるためには、現実を本人の目で、本人の皮膚で感じてもらうしかないと思うと、がんじがらめに束縛するのは不適切…。

 実際、社会の感覚を見るときの目の付け所を教えて、本人に気付かせてきたからこそ今があると思う。

 それでも児相からは厳しすぎないかと怒られることもあった。そんの厳しすぎるとも言える対応をしていても、やはり校則違反や法律違反に少しも意識を向けずにやらかして警察に囲まれてしまう…。それが昨夏の話。


 こんな綱渡りな養育で、里親はどこまで責任を追求されてしまうのだろう。里親であるという事情を知るママ友は同情してくれるだろうけど、里親だとは知らないママたちからは親の責任を指摘されるのだろうか。里子など要保護児童という属性への信頼が損なわれるのだろうか。

 もし、今でこそ子どもたちとちゃんと心が通じるようになったからこそ、ちゃんと子どもたちが耳を傾けてくれるようになったからこそ責任を取るべきはあたしたち里親だといえるけど、我が家にやってきた当時の子どもたちがやらかした犯罪についてあたしたちに批判が集まったとしたら「正直うちに責任ないでしょ」と言いたくなったろうと思う。


 実際は、夏に上の子がやらかしたときは、一部児相職員さんからかなり私達が叱責された。

 受け止めなきゃと思いつつ、ここまで叱責されては責任を取り切れないと挫けそうになった。でも、先輩里親さんや児相のワーカーさんたちや昔の施設の職員さんたちが、私達里親の責任ではないとか、うちの子どもたちの特有の難しさとか、それを咎められたら里親さんが可哀想と守ってくれて、結果として児相側から謝罪してもらえた。


 つまり、うちの児相は原則里親の監督責任を追求するらしい。でも、しっかり立証すれば里親の責任は追求されないということなんだろう。証明するのは里親側だという現実。

 はっきりいってこんな行政が続いていたら里親は子どもたちを受け入れることがリスクになる。まして、このナメロー事件のニュースのように損害賠償が億の可能性にまでいくとたまったものではない。だからといってうちの子たちのようなハイリスク児童こそ里親宅で生きる力を学ぶ必要があるようにも思う。そういう子どもたちと里親からリスクをどのように減らしていくのか、児童養護行政に何らかの具体的な方針を示すべきだと思う最近。

 じゃなきゃ里親なんてやってらんないってなりかねない。



 バイトテロ、顧客テロ、自転車事故など子どもだろうと容赦なく損害賠償を負わせる時代。その賠償責任自体は、私は大いに賛成してる立場。

 しかし、そういう犯罪を犯すリスクが極めて高い子どもたちを里子として引き受けるときに里親のリスクを請けおい、児童への教育を特に支援する方法論を、行政には是非話し合ってほしいと個人的には願っています。