この歳になったからこそ言えることだけど…



トランスジェンダーがいろいろ苦労するのって

対役所や対企業で自己都合に対応してほしいと

願い出るときに苦労しているように思う。



こういうときこそしっかり支援してあげる必要が

かなりあると思うんです。



なんでかっていうと、

うちの子を見ていても思うし、

私自身の昔を思い出しても確信するけど、


十代〜二十代なんてはっきり言って世間知らず。



保護者の確認同意無しに契約を結んだこともない。

仕事をしたこともろくにない。

大人の都合も何もわからない。


はっきり言って考え方自体がおこちゃまなんだよね。


いや、それが悪いわけでも馬鹿にしてるわけでもなく

それが当たり前に決まってる。

そうじゃない子が逆におかしいくらい。



つまり、おこちゃまが窓口に行ってワガママ言ってるだけ。



小学校〜高校と大人に守られて、大人にやってもらって

騒いでいたら大人がやってくれると思い込んでる。


本人はそんなつもりがなくても、世間的にはおこちゃま。




LGBTの権利を守ることが正義。

そう教えられて育ってきて、

現実社会の対応がそこまででないから、

差別があるとか感じて憤る。



確かに差別もある。

社会制度が社会正義に追いついてもいない。

建前と本音もある。


けど、そういう清濁を併せ飲みながら社会は回ってる。

大人の世界にも大人の都合がある。


人生経験を積んでいくなかでそういうのを学んでいく。


大人でも中々経験しないことがほとんどだけど、

否が応にも乗り越えなきゃいけないことがあって

しかたなく少しずつ経験値を積み上げていくものだと思う。



でも、トランスジェンダーの人たちって

そういう経験をこれでもかってくらいに

たくさん経験させられる場合が多い。



精神科通院、ホルモン治療、体の研究、

男女それぞれの知識経験、海外渡航、

戸籍、保険、裁判、労務、税務、組織運営。

いろんな知識を自ら取得して対応しなければならない。


でも、そんな知識、おこちゃまに備わってるわけがない。

いや、大人でも難しすぎる知識が多い。



普通に暮らしていたらそんな知識の殆どが不要。

でも、私達にはそういう知識が必要になる。



ここまでいろんなことやってきたから思うけど、

いろんなことをチャレンジできる環境は

この国には整えられているといえる。

しかし、難しすぎるんだ。


はっきり言って難しい。




だから当事者は苦しんじゃう。



まして、今の時代おこちゃまトランスジェンダーが

大人になると同時に行動することが多い。


社会はLGBTに理解があると思い込んだままね。




そして現実社会で打ちのめされる。






だから思うんだよね。



非当事者への理解は広まるにこしたことはない。



けど、それと同じくらいに大切なこと



お子ちゃまな当事者が大人になる助けを

周りがしてあげることなんだと思う。


普通なら大人でも難しい手続きをしなきゃいけない。

基本的に一人でね。

だって誰もわかんないもん。

ネットで何とか情報仕入れてね。


そりゃ上手く行かなかったら怒りが湧いてくるよ。

私ばっかりこんな扱いされて…差別だ!ってね。




いやいや、社会って誰に対してもそんなもんなんだけどね。

ただ、そういう困難が私達の前には多めなだけ。



だからこそ、そういう知識や経験のサポートって

必要なんだと思うのね。



手術や治療を促すとかじゃなくて

やると決めたらそれをサポートできるようなね。




こんな人生送ってきたから変な知識や経験が多くてさ

それを乗り越えるだけいろんなこと勉強したから

市役所や裁判所や税務署や警察署や銀行、お店の

いろんな法律や手続きの知識が豊富になっちゃった。


文部科学省にも厚生労働省にも法務省にも内閣府にも

私一人で電話して相談して意見してって。


普通は地元政治家に陳情なんだろうけどね。

あたしの場合は直接やりとりする方法を覚えちゃった。


あたしの意見から法律とか省令とか通達を

何回か出してもらったくらいにね。


だからどんな役所でも臆さず手続きしたり相談したり

法律調べたり、霞ヶ関の公開文書まで調べられる。



必要に応じて対応してたらこんなになった。



こんな知識や経験がもてたのは幸せなこと。

知識経験があれば特に不自由なく普通に暮らせる。



だけど、ここまで極端じゃなくても、

こんなような経験なんて無くていいじゃん。


そこまで努力しなきゃ生きていけないの?




と思うことはある。

けど、マイノリティである以上特別な過程を要する

仕方がないことだとも思うのよ。




じゃぁせめてそういう知識と経験は

若い子の助けに使ってあげたいなって思う。


ちょっと生きにくい人生だからこそ

ちょっとでもサポートしてもらえる社会であってほしい。





法律的にバリアフリー化。



性別違和だと言うのはいいと思う。

けど、同時に私は性同一性障害という言葉もいいと思う。

法律的に社会システム的にも私達からバリアは無くならない。

それを如何に乗り越えていくのか、

そういう優しさがもっとあったらいいなと思う。



五体が不満足な訳では無いから障害者ではない!

なんて野暮なことは言わないでほしいな。

五体が満足ではないから障害者なのではないのよ。

彼らが生きやすい社会を私達は完璧に用意できないから

彼らは障害者にならざるを得ないだけ。


彼らは彼らなりに制度を駆使して

時に努力してたくましく生きている。


そんな彼らに私は少しでもお手伝いをさせてもらいたいだけ。

マジョリティとして彼らの不便を自分たちの便利に

置換えて生活させてもらってるんだ。


そんな障害者であることを受け入れている人たちと

私が何が違うのだろうか。


私は障害者であって構わない。

確かに障害はある。

そのマイノリティの個性で差別もされる。

けど、これだけ幸せになれる法律も満たされてる。

その法律を駆使して幸せをつかめるんだ。


それを

私達は障害ではない!障害があることが差別だ!

と吠えたところであたしは虚しい。


私は身体的障害があるないではなく、

その人その人の困難に寄り添い

その困難を乗り越える助けをしてあげられたら良いと思う。



障害があるからこそ助けを求められる。

障害があるからこそ助けてあげられる。

助けてもらったからこそありがとう。

それでいいじゃん。温かいじゃん。


私には障害があってはならない、障害者扱いするな!

という考えこそ傲慢。


歳をとったら下の世話をしてもらう。

病気になったら看病してもらう。

徹夜で仕事や勉強頑張るから協力してあげる。



みんな人生の障害。困難。


助けてくれて、手伝ってくれて、アドバイスくれて

ありがとう。


それだけよ。




私ができたらいいなって思うこと。

そういう支え合いができるレベルまで

知識と経験が社会や当事者に届けばいいな。










トランスを進めた歴史は戦いの歴史?






あたしの歴史は人の温もりの歴史だったよ。



温かい人生にしようよ。






小さい当事者ちゃんの親御さんとかお友だちとか

先生とかママ友とかの話も見るけど、

守ってくれてる、温かく迎えてくれてる人たちに

賛否はあるところだけどあたしは感謝しかない。


当事者ちゃんの歴史に理不尽な涙や憎しみが刻まれないで、

温かい思い出ばかりが残っていく。


優しい気持ちで社会に飛び立つ。


そしてみんなで彼らの自立を応援する。

あたしも知識経験で応援する。





そうしてたら彼らが新しい時代を作ってくれる。




きっとね。