一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)



食育の大切さって学校でもよく言われる。


お弁当の日ってのも取り組みでやらされるくらい。


お母さんの料理に課せられる責任て

とても重いよなぁ。


あたしが料理できる人だから他人事だと思ってた。



けど、久々に目玉焼きが割れちゃっただけで

不機嫌になる我が子を見てちょっと心配になって

この本のこと思い出した。



将来自分で料理をしたり、

パートナーに作ってもらったりするだろうけど、

家庭料理は完璧を前提にしたらつらすぎる。



あたしは主婦だし、料理も得意だからいい。


けど、完璧でないと駄目なんだとか

自分にもパートナーにもそんな価値観で

縛ってほしくない。



ママ友を見てても共働きとか料理不得意とか

立派なご飯を作ることが難しい家が多い。


お弁当の日とかお家のご飯を

家庭科の授業で比較されるからって

頑張ろうとするお家の多いこと。


旦那からメシのワガママに振り回されたり。


そんなに責任ばかり求められたらママは辛い。


確かにおいしい料理が作れるに越したことはない。

バランスとか気にすることができたらいい。


けど、大切なことって何なのか。

今日一人の文句から派生した家族の会話から

お母さんの料理、おばあちゃんの料理、

ひいおばあちゃんの料理、

いろんな時代の料理を思い出から話して

あなた達の大人になったときに

どんな料理で家族が集うのか

想像や妄想を膨らませてもらった。




栄養士の母が作ってくれた料理は

本当に美味しかったし、温かかったし、

華やかだったし、バランスも良かったし、

そんな素敵なご飯を作ってくれた母を尊敬してたし、

いつしか目標にしていた。


でも、質素で単調で飾らない

昔ながらのご飯を大家族の分を

まとめて作ってくれていた

おばあちゃんのご飯もまた思い返すと

美味しかったし、温かかったし、楽しかったし、






家庭料理は性教育と同じなのかな。

親子でつなぐ命のつながり。

料理の内容に価値があるわけじゃない。

家族の営みの結果としての料理。



そんな料理のほうが

実は愛情って沢山詰められそうな気がする。

だから家庭料理って心温かくなるんだと思う。



夫にも子どもたちにも

そんな気持ちにさせるような

温かいご飯を食べさせてあげたい。




これからは完璧にしようなんて気負わず

失敗も横着もてへぺろ(←もう古いらしい…)で

笑い飛ばしていこう。


失敗した料理もまた笑い飛ばせる雰囲気。

忙しくて大皿料理でも

それでいいじゃん。

それが家庭料理。



今まではちゃんと料理をやってきたけど

できるできないじゃない。

責任を背負うのをやめてみる。

気楽に楽しくご飯を作ろう。


 


土井善晴さんの料理哲学の本。

5年くらい前に話題になった名著。

  


土井先生のレシピ本ではなくて

料理哲学の本の新刊が出ていた。


どちらも今読むとその意味が

さらに共感できるんだと思う。


既存の食育の考え方にもう一つの大切な軸を。