子どもたちは自分の名前の由来を知らない。
うちの場合実親さんとの交流もないから
その由来を聞く機会もなく大きくなった2人。
生い立ちの授業で生まれてくる頃から
物心がつくまでの記憶を整理するわけだけど、
この生い立ちの授業こそライフストーリーワーク。
しかし、このライフストーリーワークは
時に重たい過去を子どもたちに突きつける。
だからこそ社会的養護の子どもたちの場合は
慎重にやることになるのね。
今までやってきたライフストーリーワーク
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保護される前に実親さんと通ってた幼稚園を見に行く。
昔遊んでた公園や行ってたお店に行ってみる。
昔連れてってもらった観光地に遊びに行って見る。
家族のお墓参り。
写真に写ってた風景を探してみる。
思い出の記憶の種類や、
その思い出の所在地における今の関係性、
本人たちの関心の高さ、
本人たちの気持ちの安定さ、
いろんな基準で連れていける限り
昔の思い出を一つ一つ確かめてあげてきた。
そして、中学生にもなると学校では
具体的になる性教育の中で、
その一環として命を繋ぐことの意味を考えられるよう
赤ちゃんのころの自分を通して
出産・育児という性について考えさせる。
性教育と情操教育、道徳教育のための
強制的ライフストーリーワーク。
学校と生い立ちのことは丁寧にしてほしいですって
前もって話をしていたはずだけど、
結構重たい内容のプリントが配られてしまって
上の子を少し傷つけることになっちゃった。
けど、そういう「普通」に負けない強さを
身につけてほしいってのが私の願い。
このイベントを前向きに捉えてあげたい。
書かれていた項目の中で
本人たちが特に知りたそうな思いで見ていたもの。
それが「自分の名前の由来」
私自身親から有り難い「男性名」を授かった。
その思いの重さに苦しんだ時期もあるし
自分らしくない名前に嫌になった時期もある。
その名を捨てる覚悟をして女性名を考え始め、
結局、その男性名に込められた家族の愛を捨てられず
その愛をベースに私の願いや「らしさ」を表現して
新しい名前を手に入れた。
今も昔もいつも名前が私を作っていたし、
今もこれからも名前が私のアイデンティティの
核の中に存在するって感じてるの。
たかだか個体識別の記号に過ぎないんだけどね。
意味を込めると魂が宿る、それが名前だって思う。
名前は一生の生き様を左右し、
自分という人間の歴史に必ずついて回る記号。
まさにライフストーリーの中心。
そんな大切な名前だってわかってるから
子どもたちの心に、
私達もちゃんと愛されていたんだって
その愛の歴史を埋めてあげたいっておもった。
児相の職員さん経由でしか話せない実親さん。
前に連絡できたのは5年前。
それも児相の職員さんが聞いた話をまた聞きするだけ。
何とかお願いして実親さんに
当時のお話を聞いてもらえた。
児相から知らされた由来…
とても愛情あふれるものでした。
すごく嬉しかったです。
やっぱり愛してくれてたんだ。
そうだよね、あの写真を見る限り
大好きな子どもたちだったんだよね。
私達なんかと一緒に暮らさなきゃいけない現在は
悲しい思いもあるだろうけどさ、
憎むべき過去なんかじゃない。
間違えて生まれてきたわけじゃない。
みんなと同じように愛されて生を受けたんだよ。
生んでくれたお父さんお母さんの思いを
お母さんはしっかり受け継いだよ。
お母さんもそう名付けられた通りの
素敵な二人でいてほしいって思ってるよ。
素敵な名前をくれたお父さんお母さんに
あなたたちを生んでくれたお父さんお母さんに
お母さんはありがとうって伝えたいな。
子どもたちも真剣に聞いてくれた。
きっとその思いを胸に生きてくれるだろう。
そして、最後に久方ぶりの現状調査をしてくれた
児相の職員さんが教えてくれた話をしてあげた。
親「二人はどんな子に育っていますか」
児「名前通りのとても素敵な子に育っています」
親「本当に良かった…」
離れててもあなた達の幸せを願ってくれてる。
ずっと二人のことを今でも気にかけている。
大人の事情はまだわからないだろうけど、
いつかあなたたちにもわかる日が来るよ。
お母さんが伝えられる確かなことは
あなたたちは愛されていたし、
今もこれからもずっと愛されているんだよ。