トランス始める人って病んでる人多い。
ずっと言ってるけどさ。
幼い頃から悩みを抱えていたものが
大きなストレスを受けて爆発したときに
本当の自分を解放したくてトランスする、
そういう人多いと思う。
中には大きなストレスを、生きにくさを
本来関係のない性別違和があったように勘違いする
そんな人もいるとは正直思うけど…
とにかく病んでる人多い。
その気持ちよくわかる。
私もそうだった。
でも、ブログで友達を集めて
みんなにODだの、飲酒投薬だの、自殺未遂だの
見てもらってみんなの慈愛を掻き集める行為、
私はやっぱり赦せない。
何度も言う、ODで大切な友達を失ってる。
そういうのを見てほしくてしてたわけじゃないけど。
その手の自傷行為は暴力だからね。
自分への暴力なら勝手にしてたらいい。
死にたい人を止める権利は私にはない。
そこまで無気力な人を救えるほど私に力もない。
その一方で、自傷行為は本人のことを愛している
大切な友達、仲間、家族の心の奥から傷つける行為。
私が病んでる当事者と関係を作りたくない理由。
暴力をふられるから関わりたくない。
傷つきたくないから関係を作らない。
大切な友達ほど慰めてあげたいって優しい言葉をかける。
その優しい言葉で命をながらえ、
それが気持ちよくて人を傷つけ続ける。
優しい声をかけた人たちも
大切な仲間を失わなかった安心感と
癒やしてあげられたという自己満足で
精神を安定化させたと勘違いする。
でも、優しい言葉を本気でかけている人なら
きっとわかってもらえると思う。
その温かい言葉をつむぎ出すために
どれだけ心に負担をかけている?
その温かい言葉がどれだけ相手の力になっている?
頑張って優しい言葉をつむぎ出し続けて
大切な仲間の傷ついた姿を見せ続けられ
ほんの僅かな安心を手に入れる。
支え合いにはなっていない。
毎日のように血まみれの人のそばにいるようなもの。
心が穏やかにいられるはずがない。
その結果、みんなまとめて引きずられていく。
引きずられた人がまた誰かを引きずっていく。
その連鎖も幾度となく見てきた。
だから私は当事者と距離をおいてきた。
私は見過ごすことができない質だから。
人生経験で精神的に距離をおく方法をあみだしたから
今はかかわれるけどね。
とにかくあらゆる自傷行為はアピールに使っちゃだめ。
実はそれって自分を傷つけてるわけじゃない。
大切な人に精神的暴力を振るっているのと同じ。
大切な人に「見捨てないで、可哀想でしょ」と
思わせるのは束縛したいだけ。
そんなことをしているから大切な人に捨てられる。
だからまたもっとアピールしたくなる。
みんながみんなそういう状況だから
同じように苦しくなったときに
同じようにODしたらどうなるんだろとか
自殺未遂したらあの子と何か思いを共有できたとか
変な勘違いがみんなにどんどん広がる。
社会的疎外感を感じてる
特に苦しい当事者たちは
そのサークルの中に属したい。
仲間意識、所属意識を共有したい。
そこにじぶんの存在価値を見出したい。
結果としてその闇のドツボの中に
普遍の価値があるように感じてしまう。
でもそのやり方、間違えてるから。
当事者のサークルの中では私みたいな意見はでない。
みんな優しい言葉をかけるしかない。
なぜなら仲間を傷つけたくないから。
そこに存在価値を見出してるから。
正常性バイアスがその中にも存在してる。
優しい言葉をかけるその相手は
暴力を振るってるだけなのに。
でも、そうしなきゃ生きていけないくらい
苦しい中を歩いている気持ちもわかる。
私もそういう時期あったから…
だからこそ言いたい。
早くその負のスパイラルから引っ張り上げたい。
自傷行為をしてそれを見せつけていても
助かることはない。
どんどん深みにはまるだけ。
死にたい気持ちを持つのは仕方ない。
やるならひっそり死ねばいい。
でも、本当に大切な人が仲間がいるのなら
その存在に気づいてほしい。
その人たちの悲しむ顔を思い出してほしい。
愚痴くらいみんな聞いてくれる。
その中で自殺念慮に耐えられたことを褒めてもらおう。
少しでも自殺念慮に耐えられた時間を伸ばせたことを
褒めてもらおうよ。
楽しかったり嬉しかったことを一緒に喜んでもらおうよ。
前を向けたことを報告したら大切な人たちは
どんな表情で読んでくれるか想像してみてよ。
日々のちっちゃな嬉しいことの連続を味わおうよ。
ちっちゃな幸せしか世の中ないから。
それに気付けないで大きな幸せしか求めないなら
永遠に幸せにはなれないから。
とにかく、大切な仲間を平気で傷付けてもいいという
そんね雰囲気のメンヘラの輪に組み込まれていては
幸せになれはしない。
だから私は仲間にならない。
これからも❝冷たい言葉❞をかける。
嫌われても構わない。
舐め合う相手は要らない。
甘え方、助けてもらう方法、這い上がる方法
それだけ伝える。
落ちる人たちはそのまま何をしても落ちていく。
解決策もない。
状況も変えられない。
歳をどんどん重ね、さらに人生が難しくなる。
薬を飲み続け
肝臓を傷め続け
脳を侵し続け
社会との距離を開き続け
最後には結局死ぬ
今の生活がホルモンを続けていたら変わるのか。
変わりゃしない。
普通に男や女として生きていても
生きるのは苦しいし人間関係は悩ましい
ホルモンや差別のせいじゃない。
自分自身の心の問題なんだ。
これも何度も言う謙虚さと同じ。
幸せは転がってる。
社会のせいで、個性のせいで
幸せになれないんじゃない
個性が理由であれ嫌な思いをしたあと
いつまでも卑屈に心をひん曲げ続けてるから
幸せになれなくなってるだけ。
それに思い当たる当事者の方には知ってほしい。
一度卑屈になった心を解き放つのは大変だけど
ホルモンなどの体の変化よりもその卑屈な心を治す方が
実は幸福感を感じられるから。
体の変化も生活の質も
健全な心を持ってからのほうが早いから。
私が数少ない支援してきた人たちの中には
変化の過渡期に僅かな苦しさを抱えている人たちもいる。
そういう人たちの支援に大切にしたのは
辛いことがあったら冷静に事態を認識する知恵と
今の辛いことばかりに目を向けさせないようにするために
未来への希望を意識できる支援と
今の幸せを感じられる支援
卑屈にさせることが何よりの害悪。
笑顔あふれる生活をしていれば
自然と人が支えてくれるし
幸せが舞い込んでくる。
卑屈になる前なら簡単な優しさでも
ちゃんとその意味がわかるからね。
人の温かさが、その価値が真に感じられるうちに
支援した人は移行もスムース。
やっぱり心の健康こそ何より大切なもの。
負のオーラは取っ払う。
負の感情に支配されないよう。
当事者の方には意識してもらいたいです。
おばさんの経験から導いた意見でした。
自殺未遂を繰り返すしかできないのなら
私はできることがないので去ります。
多くの人はそういう悲しい話が続くばかりの
ところから去ります。
見ていることがつらすぎて距離を置きます。
それが現実です。
その度に嫌われた、見放された、
どうせ一人なんだ、誰もわかってくれない、
と自棄になる。
そして結局同じことを繰り返す。
長く付き合えるのは自傷に仲間意識を持つだけの人。
自傷行為が絆に変わっていく。
そしていつか終わる。
これに気付けない人は同じ道を辿る。
冷たい言葉をかけても温かい言葉をかけても同じ。
黙って去るのもひとつ。
でも私は無駄だろうと厳しい事を伝えたい。
そこに目線を向けてほしいから。
うつ病患者に頑張れは禁句だというけど、
それは同意するけど、
私も鬱患ってあの苦しみを知っているから、
鬱仲間で引っ張られあうのを見てきたから
その犠牲者をたくさん見てきたから、
性同一性障害の人が鬱から抜け出すためには
この負のつながりが一番厄介だって確信してる。
だから批判されようと言うよ。
冷たいとかキツすぎるとか心無いとか言われても
自殺や自傷を続けるのはダメ絶対。
続けるなら本当に周りから人がいなくなって
寂しく死ぬ覚悟できた人だけだ。
そんなで明るいトランス生活なんて絶対に来ない。
生きてたら辛いことだらけなの。
トランスなんて関係ない。
年中幸せなんて一握りもいないかもしれない。
強くなるしかない。
小さな幸せに共感できるようになるしかないのよ。
手のうちようのない難病とか
計り知れない苦しみとは違う。
心の持ちようで変われるんだから。
自殺反対。自傷反対。
何度も言う。
絶対に反対だから。