道場稽古後の日記です。本日道場稽古が終わり、道場生同志で会話をしている際中に私の五感が素早く反応しその音の方向を振り向くと大の大人、しかも男性か雄か分からないがイチモツは付けて歩いているんだろう人間が自分自身が飲んだ酒のビンを思い切り下に叩きつけて捨てやがった。
当然私は見逃す事は無く、そいつに伝えた。
私 お前、そんなとこにゴミ捨てないで、すぐの目の前にあるゴミ箱に捨てろよ。自分自身が飲んだ物も片付けられねぇのか!
そいつ 何だよ?シーラね。
そこでそのまま歩いて行ったので、私がプツンと切れた。
私 おい!お前自身がやったことの責任ぐらいお前自身で拭けねーのか!
お前みたいな人間が増えていくと汚い心や小さな大事な事をないがしろにして逃げていく人間が増えていくんだぞ、このままでいーのか?むしろお前みたいな人間と俺は一緒にされんのが一番嫌いなんだよ。
お前の曲がったその目、俺が叩き直してやろーか?
そいつ いや…あのいや…もうしません。本当にごめんなさい。
正に本日、稽古後に先生が仰って下さった『懺悔』の話がそのまま一瞬に繋がった。
こういう馬鹿に限って必ず次の一瞬には俺の言葉が抜けていくのだろうか。懺悔なんか要らねー。
必要ねー。
お前が謝るのはお前自身だろうが。
俺は痛くもかゆくも同情もねーんだ。
ナメんな。懺悔なんかで、見切られるやわな鍛え方してねーんだ。こういう馬鹿と阿呆の烏合の衆の一人は簡単に毎日が来ると思って簡単に生きれると思ってやがる。
もしその場に目が見えない人間がいて、そのガラスの欠片で二度と戻らない瞬間や事故に繋がったらどうする?
もしお年寄りがそのガラス手をついて一生の致命傷になったらどうする?
そこまで考え背負い、私は伝えた。
その馬鹿野郎はそんな意識これっぽっちも想ってやしない。その瞬間は。
そして私に渇を入れられて初めて気付く。
良い年こいて恐らく30近くの野郎だ。
そんな野郎がこの国に居座ってやがるのが世の常か?
ふざけんなよ。
俺は絶対に流されない。
良い悪い犯罪か免罪か?
そんなんじゃねぇ。
俺が野郎に問いたいのは『心の持ち方』だ。
そんな野郎にも大事な人間はいるんだろう?
生まれてこの世に生かされているのだろう?
何時からこの国の人間の人を想う気持ち、そして明朗闊達な心は汚染されたんだよ。
俺は絶対に嫌だ。
この生き方を通して世の中に復讐してやる。
諦めるのが一番嫌いだ。
心を病理という名の言い訳に潰れるのは、御免だね。
俺は流されない。
しつこく何度でも何度でも諦めねぇ。
いつか来るその日まで。
俺は闘い続けてやる。
この国の病理に。
そして強い己自身の心を更に上げてやるんだ。
生かされている限りずっと。
大切なのは、就職や名誉や金や身体の欲じゃねぇ。
己自身と向き合い生かされている限りずっと感謝する心だ。
先生の御言葉が私の身体の隅々まで染み渡りそして現実にそれが起こるから人間にしか出来ない『生き方』を貫いてやる。
岩井 健太郎