自分史

小学校低学年の時は男の子たちとはあまり遊ばず女の子とばかり遊んでいました。

同級生の女の子が転校する際は泣いてしまい、男の子の中では私だけお別れ会に招待されるなど、男性の輪の中にいるよりは女性の輪にいることが多かったです。

高学年になると女性のお友達は少なく、男性のほうが多くなりましたが、体が小さく同級生にはなじめず、低学年の子とばかり遊んでいました。


中学校時代は、

同級生の女生徒の制服を秘密で着せてもらったりし、男性の制服よりもしっくり着て、

女性として生きて行きたいと思うようになりました。

運動神経も悪くスポーツもあまりできませんでしたが、女性比率の多いバドミントン部に入部しようとしましたが女子部しかないと断られてとても悲しんだ記憶があります。


高校時代になり

バイトをするようになり、自由なお金が増えることで少しずつ化粧品など女性用品を買うようになりました。バイト最初の給料で買った口紅はとてもいい思い出です。


高校を卒業し1年間住み込みの仕事を1年間行い、

ここで、下着類など見えない部分からの女性生活を始めました。

その後、就職をし髪を伸ばし始めたりしましたが、今のようにネットでなんでも調べられる環境ではなかったので知識も薄く苦労しました。


転職の機会があり、ここで肩まであった髪をきりましたがすごくショックだったのを覚えています。

このあたりから一人暮らしになっていたので服装もレディースしか着ないようにしていて、

仕事で当直があるときも着替えを持って行って帰りは女性に扮して過ごしたりしていました。ネット環境も整い始めたころでホルモンやSRSなどについて調べ始めていました。


社内で知り合った方とお付き合い・同棲・結婚する機会に恵まれました。

同棲のタイミングでいったん女性用品はほぼリセットしたのですが、一部残っていたものが見つかりカミングアウトをしました、なんとか結婚することはでき、女性同士といった形でお出かけをしたりはしていましたが、男性としての夜の生活はうまくいかず不倫をされ、最終的には離婚しました。


そのあとも友達から女性を紹介されお付き合いしましたが、早い段階でカミングアウトをし結局は別れることとなりました。

20代くらいからホルモン等について知識は深めていましたが経済的な理由などもあり踏み込むことができませんでしたが、離婚し子供もあきらめ、今後は少しでも女性らしく生きていこうと決断し個人輸入でホルモン治療をはじめ、半年が過ぎたころにSRSを決め、手術後の管理のことを考えてきちんとジェンダークリニックへ通いはじめました。


会社へ行くときはスーツでしたが、毎日男装するのが苦痛でした。

服装規定が緩和されたので少しでも中性的な服を着たり手術を決めたことで社内の方にも少しずつカミングアウトを行い理解していただいております。

今回GID診断書を取得し会社の上司へすべてをお話しする予定でおります。


最近は女性として安心して暮らしていけるようにボイスレッスンやメイクレッスンなどに通っており、もっとおしゃれをしたり女友達といっぱいおしゃべりしたりできるように自分磨きをしていきたいと思います。


身バレ防止で提出したものからは一部修正してますが、今後診断書をとられる方の参考になればと思い投稿してみました!