映画「氷菓」。2017年、安里麻里監督、米澤穂信原作。

 

      

 

 やりたいことが見つからない高校生(山崎賢人)は、頭が上がらない姉からの圧力で古典部に入ったところ、同じ部の女子生徒(広瀬アリス)から推理力を見込まれ、30年以上前に退学した古典部OBの叔父についての秘密を解き明かしてほしいと頼まれて……。

 

 残念ながら謎解きの部分が地味で、真相にもあまり驚きがなく、無駄な登場人物もいた印象でいろいろと不満が残る作品だったのだが、高校の学園祭が題材に使われていたことで、個人的にいろいろと記憶を呼び起こされることとなった。

 

 高校時代の私は、50年代のR&Bレコードを集めたり、テレビ放映された映画を片っ端から観たり、ボクシングやキックボクシングの雑誌を読みあさったり、空手の道場に通ったりしていたりしていたのだが、本作の主人公と同様、何か満たされない思いを抱えていて、まだ自分は覚醒していない、本気出してないといった思春期によくあるうぬぼれを抱えていた。

 そんなときに学園祭で、クラスメイトがロックバンドを組んで有名曲を演奏し、女子たちにキャーキャー騒がれているのを見て、妙に冷めた気持ちになった記憶が本作によって呼び覚まされた。

 

 あのときの冷めた気分は何だったのかというと、バンド演奏のスキルがたいしたことないのに女子が騒いでいたということよりも、こいつらは多分今が人生のピークなんだろうなと感じて、何だかせつなくてたまらなくなったのである。

 同じクラスには野球部の花形選手で甲子園に出場してやはり女子たちに騒がれていたやつもいたけれど、やっぱり彼らも今が人生のピークなんだろうなと思って、うらやましい気持ちは全くなかった。

 お前らは十代でピークを迎えて、後は冴えない人生がずっと続くんだぞー、でもそのことには全く気づいてないんだろうなー、オレはまだ何をやるか決めてないけどそういう人生は送らないぞ、大人になってから長いピークを迎えてみせるぞ、みたいなことを夢想していた。

 

 それはもしかしたら輝いていた連中を単におとしめることで自身を慰めていただけだったのかもしれないが、大人になってから人生のピークを迎えてみせるという自己暗示はその後も続いて、曲がりなりにも、もの書きの端くれとして飯を食っている。

 ひがみ根性も継続すれば何らかの結果をもたらしてくれるってことだろう。

 映画はときに、作品自体の出来映えに関係なく、観た者の琴線に触れることがあるんですな。