映画「リトル・リチャード アイ・アム・エヴリシング」。

 2023年アメリカ、リサ・コルテス監督。

 

 50年代にロックンロールの先駆者となり、後のミュージシャンたちに多大な影響を与えたリトル・リチャードの半生を映像や証言で辿るドキュメント作品。

 

 彼がゲイだったせいで父親から嫌悪されていたことや、バックバンドのメンバーだったジミ・ヘンドリクスがキラキラ衣装を着るのが嫌だと言ったのでクビにしたこと、ポール・マッカートニーが彼の大ファンでビートルズのコンサートではいつも「ロング・トール・サリー」を歌っていたことなどは私も知っていたが、本作では彼が抱えていたさまざまな葛藤について、新たにいろいろと知ることができた。

 

 当時は人種差別がひどくて些細な理由で黒人がリンチ死したりするような時代だったことを考えると、彼がゲイだと公言していたのはもしかすると自身の身を守る意味合いもあったのではないかと思った。

 若い白人女性がキャーキャーと騒ぐと妬まれていつ撃たれるか判らないような時代だったし、彼自身も「ファッツ・ドミノは危険視されなかったがジェイムズ・ブラウンは危険だった」と語っている。これは、ファッツ・ドミノは着ぐるみのような容貌で白人女性に騒がれないがジェイムズ・ブラウンはセクシーさやたくましさを前面に出していたから白人男性の反感を買う、という意味だろう。

 

 ちなみに、時を経てマイケル・ジャクソンというスーパースターが出現するが、自覚してのことなのか、シャイでおとなしい性格と、中性的な要素を印象づけることで白人層からの支持を得ることに成功している。その後は見た目まで白人化していったことで、マイケルもまた大きな呪縛を抱えていたとは言えまいか。

 

 リトル・リチャードの話に戻るが、彼は人気絶頂期に引退して神学校に入り、牧師になった時期がある。ここにも人種差別の影が見て取れる。白人の大人の多くは、自分の子どもが黒人音楽の影響を受けることを嫌い、白人の教会などを中心に「ロックンロールは悪魔の音楽だ」というネガティブキャンペーンを張って、サリンジャーの「ライ麦畑をつかまえて」と同様にレコードが燃やされるなどしていた。

 信仰心はそれなりに持っていたリトル・リチャードは、自身がゲイでしかもロックンローラーだからいずれ地獄に落ちるのではないかと不安を募らせてついに〔転向〕してしまったのではないかと私は見ている。

 しかし、ゴスペルのレコードを出しても売れず、やがて自分が歌うべきはやはりロックンロールなのだと気づいて復帰を果たす。

 

 これに似ているのが、ボクシングのヘビー級王者であり・モハメッド・アリのライバルでもあったジョージ・フォアマンのエピソード。彼もまた全盛期に神様の導きがあったとして突然引退し牧師にになっている。 ↓ 若き日のフォアマン。

      

 しかし10年もの時を経て、今度は「布教のためにリングに上がりなさいとお告げがあった」として復帰し、何と40代半ばにしてヘビー級王座をあらためて獲得している。

 

 リトル・リチャードが正当な著作権料を受け取っておらず、一方で彼のカバー曲を歌ったプレスリーなど白人歌手は莫大なカネを手にしたといったエピソードも印象深い。これはチャック・ベリーも同様で、「レコードが発売されたら知らないやつの名前が共同作曲者として載っていた」と語っていたのを別のドキュメント映像で見たことがある。

 そしてリトル・リチャードもチャック・ベリーも、ロックンロールをこの世にもたらしたレジェンドなのにグラミー賞にノミネートされることもなく金銭面でも不当な扱いを受けてきたにもかかわらず、怒りをストレートに見せることなく、そのうっぷんを音楽活動に昇華させてきた点で共通しているように思う。

 ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ポール・マッカートニー、デイヴィッド・ボウイら有名白人ミュージシャンたちが本作の中で、リトル・リチャードのことをどれほど敬愛しているかを熱く語っているだけで、どんな賞よりも大きな表彰になっていると感じた。

 そして本作は、単なる音楽ファンのための記録映画ではなく、アメリカ現代史を学ぶ貴重な資料である、と声を大にして言いたい。

 

 ↓ 久しぶりに聴いたけど、ゃっぱりいいねー。