この間、大学一年生の時に所属していたグループでZoomをして、だいぶ深いお話ができました。

忘備録として書いておきます。

 

Q. テレワークをすると分散型の社会になるのか

 

テレワークの技術は進歩しうると思う。例えば目線が合わないことが問題なのだとしたら、画面透過型のレンズとか開発されたら、目の先にレンズがいって目線を合わせることができるようになる。

 

ただし、話し相手と「場」を共有していないこととか、匂い、手触りが伝わらないことは大きい。

 

授業出るにしても、南北線乗ってJR乗っていって帰ってくるそのプロセスで憂鬱感とか、達成感とかを感じてる。だからいつでも画面ひらけばできてしまうっていうのはなんか悲しい。笑

 

シリコンバレーとかは労働集約型だから厳しそう。

シリコンバレーがシリコンバレーにある理由は絶対にある。(もしテレワークが色んな意味でベターなのだったら、とっくにシリコンバレーなんてなくなってる)

いくら5Gとかで通信回路が早くなったとしても、人間がそこにいる固有性は代え難い。

 

ミートアップとかできなくない?

ある程度共通項とかがあるから、今は既存の人間関係をオンラインで「継続」することができているけど、そもそも、画面上でゼロから新しい人に出会って関係構築するの厳しそう。

 

 

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・飲食業界は以外とシビア。新しいお店が参入するってなったら、直接は言わないけど物流の方に根回しして卸売しにくくする、とかある。

 

下北の再開発で新しいお店バンバンできているけど、意外とチェーン店は潰れていたり、そもそも新しいお店に人が入っていなかったりする。わざわざみんなが下北に行くのは、そこにしかないカフェとかおみせとかに行きたいから。

 

その意味で、新しいお店が参入しても残るところは残るのだと思う。

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Q. 世の中に絶対的な「良さ」はないのに、スタンスを取る方がいいのか?

 

スタンスを取らないと、自ら行動に移せなくなる。

確かに絶対的な「良い」ものなんてないけど、仮説を検証してアップデートし続けるのが良いと思っている。自分の考えが深まることになるし。

 

逆に仮説を決めずにスタンスを取らないのは、責任放棄であるし、無責任だと思う。

 

つまり、スタンスを取ることによってリーダーシップを発揮、道筋を示すことが重要。

 

 

 

カーネギーの道は開けるや、アドラーの心理学も、

幸せの方法については今その瞬間にスポットライトを当てろ、という示唆を与えている。

 

人生における幸せとどんなものと定義するにしても、目の前のものを楽しんでいるのは前提にないといけないなと思う。

 

 

 

Q. 売れるものがいいのか、いいものが売れるのか?

 

→これには答えはないけど、両者が一致しないことは往往にしてある、と思っていて、難しい問いだなと思う。時間をかけたらいいものが生まれるとか、そういうわけではない。

 

 

いい企業は結果的にずっと残ると思っている。

 

→その場合の「いい企業」ていうのは

イコール社会にとっていいというわけではない。

この場合でいうと、継続的に顧客がつくかどうか、にすぎない。

 

 

 

市場原理においては、適者生存的であ理、

マーケットにどれだけ適応しているかという指標が生き残るかどうかに関わってくる。しかし、それとは別にいいものがあるという話もある。

冒頭の問いは、この二つについていっている。

 

これは音楽についてもいえて、売れている音楽がいいのか、いい音楽だから売れるのか。両者が一致する場合もあるが、ニッチな音楽とかはそうでもない。

というか、音楽においては良さは主観に過ぎないから、そういう個人的な嗜好の主観は客観によって取り出せるとは思っていない。

 

 

 

そこで重要になってくるのはメディアの力。

 

マルチメディアからマスメディアに移ると

→発信者に誰でもなりうるから、発信した後に消費者に届くのが難しくなって、競争が激しくなっている。

 

情報が流れる量は増えたけど受け入れる量は増えていない。

 

つまり、情報の非対称性がなくなったとしても、インターネットの普及によりマスメディアのような発信者の影響力は減ったが、代わりに情報インフラの影響力が増した。それに対し、ハブとなるような発信者のあり方が問われる。