「在日朝鮮人」という言葉って、日本人の間でまず話題に出ることがないものかなと思います。

 

GO(2001年)という作品は、在日朝鮮人の男の子とそれを取り巻く環境を描いた青春物語でした。

 

 

日本の中にも、朝鮮人学校があることを知っている人はどのくらいいるんでしょうか。

かくいう私も、日本の中で、「在日」と呼ばれる人たちがどのような生活をしているか、”純日本人”(ここではあえてそう書きました)である私や大多数の人と、どんな違いを暮らしの中で強いられているのか、想像することすらできません。

 

そう考えると、人間によって作り上げられた、いわば虚構にすぎない国籍とか国家という概念のせいでこんなにマイノリティとして押しやられて被害を被る人がいるのかと思い、ハッとしました。

 

国家を形作っているナショナリズムが、民族意識と深く関わっている場合もある、とこれまで学びましたが、民族という枠組み、概念(これまた人間が作り出したものです)が、国家という枠組みと交わることで弊害を生むなんて。

 

さらに、この「国家」や「民族」という概念を受け入れるとして、例えば日本の中で朝鮮人の存在をどう認識するのがいいのだろう、と考えさせられました。

 

差別、されるのが朝鮮人の方にとって辛いことなのだとしたら、むしろ朝鮮とか日本とか、考えない方がいいのか、と思ったりもしました。

 

きっと正解はないと思います。だからこそ難しい。