ユーゴスラビア紛争って、めちゃめちゃ複雑。
泥沼だから全貌を知るのはやめたほうがいいよ、と言われつつ、気になってしまって調べる。
こう見ると、当たり前だけど、想像以上に世界史の知識が現代にまで繋がってる。
もともと、ティトーが統治していたころ、ユーゴスラビアと言われたら6つの王国からなる連合国家を指していた。
それは、セルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、アルバニア。
さらに様々な宗教、言語、民族、国境を持つものすごい国家でした。
1980年にティトーが死去すると、なんとかまとまっていた国の秩序が崩れます。
結果的に、最初に独立することになったのはクロアチアとスロベニア。
クロアチアは歴史的に反セルビアだったこと、またザグレブなどの都市が工業で発展していたのにもかかわらず、ユーゴ内の貧しい国にその富が流れてしまうことが嫌だったことが背景にある。
スロベニアも、ユーゴの最も西にあって、比較的、経済的に豊かだったという背景がある。
この独立を巡って、スロベニアでもクロアチアでも、紛争が起こった。
スロベニアでは10日間で紛争が終結したが、クロアチアではそうはいかなかった。
クロアチア王国内には、セルビア人がやや住んでいたが、セルビア人対クロアチア人の対立が生まれ、ユーゴ政府も加わって、独立しようとするクロアチアの独立戦争のような形になった。
複雑すぎてここでいったん休憩。
参考文献
http://www.y-history.net/appendix/wh1702-033.html
http://gotanda.cocolog-nifty.com/so_what/2007/11/post_6490.html
http://www.magichour.co.jp/syakunetsu/background/background1.html
おまけ。
難民について、昨日の講義で言ってたこと
国家の中の国民は国家の管轄の中で完結する、という主権国家体制の矛盾を示している。
→人は移動するし、自国民を統治できない政府もある。自らが所属する国家から投げ出された人はどうするのか?
なるほど〜〜〜
