ボスニアついての話。
ボスニアはヨーロッパの最貧国の1つと言われています。だからEUにも加盟してない。
ヨーロッパにいるとEUという連合体の一体感を強く感じる(ユーロだけじゃなくて、みんなIDだけで国境通過してたり、ネット回線が統一されてるからSIMなしでケータイ使ってたり。)一方で、みんなEU圏外に行くの初めて!パスポート見て見て!とか言ってきて、ああ、ここは同じヨーロッパなのに外国なんだ、って思う。
昨日今日とサラエボにいて、すごく物価が安いのを感じる。たとえばジェラートは65円くらい。クロアチアよりもやすい。
街を歩いていても、公園で休んでいても、いろんなタイプの物乞いに会った。子供を使うパターン、紙に「I need money for food」と書いて近寄ってくるパターン、なんだかよくわからないうめき声と共にバッグをじっと見つめて手招きするパターン。
昨日も夜、人だかりができているなと思ったら、NGOが食料の配給をしてた。そこにいるのは大体中年の疲れた顔をした男性で、「Moeka, don’t look at them, just walk them by」って友達に言われた。
今まで貧困というと、アフリカや東南アジアを考えがちだったし、子供を想起することがなんとなく多かった。
だけどヨーロッパの一国でもこんな状況があるんだなあと思ったし、貧困って見えないだけでどこにもあるよね。昨夜食料の配給を待ってた男性たちのなんとも言えない顔が忘れられない。貧困をかわいそうとは思えなくなった今の私には、その状況に問題意識が生まれることはないけど、自分の知ってる社会課題のイメージがメディアや周りの人が話題にすることだけに限定されてしまうのって、不可抗力だけどこわいと感じた。
あとは物価や生活水準についても、国同士の差に驚いてる。こういう差ってなんで生まれるんだろう。何が違うんだろう。昨日は電車でサラエボから1時間くらいいったところ行ったんだけど、家畜や畑の時給自足っぽい生活をしてた。
何か物事を図る基準、ものさし自体がちがうっていうのは大きな気づき。たとえばユーロ圏と日本では、ヨーロッパ人は何かの値段を言う時○ユーロ(130円が最小単位になってることになる)くらいだよといって、日本は○百円くらいだよ、と言う。
サラエボと日本では、「それを買うくらいならリンゴ○こを買ったほうがまし」っていうことの価値が違う。
物価の高い低いとかじゃなくって、わたしの知らない生活スタイルや価値基準っていくらでもあって、「あたりまえ」って言葉ほど怖いものはないんじゃないかと思った。
あと気づいたこと、私はあんまり観光地っぽい観光地を見るのが好きじゃない。行ったらそこにあるのがわかっていて、ネットでいくらでも写真が見れるのに、答えのあるものを自分の目で確認したいとは思わないからなのかなあと。行く過程が楽しいのかな。
買い物とか、食事とか、街を移動したりとか、人を観察したりとかして、その地でどういうふうに人が生活しているのかを見るのが好き。
