ホワイト国指定解除は政府がパブリックコメントを公募したが95%が賛成で反対わずか1%だったと今朝の2019.8.4のケーブルテレビTBSニュースが報じていましたが、事実かどうかは疑わしい。政府の発表ほど信頼のないものはないからです。私自身も反対ですから。

 反対理由は3つあります。

1.朝鮮を植民地化した時の日本が犯した悪事に対する恨みはそれほど根強いものだということと、

2.もう1つは日本の対応が1965年の日韓請求権協定を含めてこれまでずっと誠意のない非常にあいまいなものだからです。

3. さらに3つ目は、今までの日本からの賠償が韓国政府のインフラ整備に使われ、個人に賠償金が回ってないことです。なぜかというと協定には国または国民への賠償となってるから、賠償金をすべて韓国政府が使い、韓国国民に支払われなくてもよい内容になってるからです。そのために韓国人が個人的賠償されてないと訴訟を起こしたわけです。韓国人を馬鹿にした協定です。まず根拠となる協定に何が書かれたかを要約すると、

 第1条:日本が韓国に3億ドルを無償供与する。

 第2条:両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

 第3条:協定に関する問題、紛争は外交で解決し、解決できないときは第3者を含む仲裁委員会を設置しその判定に従う。

 

これを見て最初に気づくのはいったい何のための賠償か、肝心かなめの目的が書かれてないことです。朝鮮を植民地化した時の日本が犯した悪事に対する賠償という肝心の文言がない。後世の人が見ると何に対する賠償か訳が分からず、歴史を調べてやっと慰安婦、徴用工だけじゃなく、韓国語を禁じ、日本語の使用を強制したり、李王朝を断絶させてしまったりしていることの損害賠償だとわかる。私が朝鮮人ならこんな人を食った謝罪の気持ちの表れてない、誠意のない協定は認めません。現に文在寅大統領も認めないというが、彼の場合はこの当時の韓国が朴の軍事独裁政権だったこと、それを倒して民主化したリーダーが文だったことが背景にありますが、彼が日本嫌いなのはこの協定の書き方に現れている日本の誠意のなさが起因しているのは間違いありません。詳細は50年培われた日韓関係を安倍1人がこわすなを参照ください。協定締結当時は韓国経済が疲弊してたから甘んじて調印したのでしょう。

 

 契約には必ずその目的を明記するのが常識です。例えば「1910年の韓国併合から1945年に終わった第2次世界大戦の前後を通じて韓国に対して日本が犯したあらゆる行為の結果生じた韓国の財産の損害、韓国人に対する人権侵害の責任を認め、それを賠償する」というようにです。こんな大事なことを書かなかったのは明らかに責任逃れ、責任を認めたくない気持ちの表れです。

 さらに賠償の対象になる期間が書いてないから、秀吉が朝鮮の役で朝鮮を侵略した時の損害も請求できることになってしまいます。私が朝鮮人ならこの曖昧さを突き、契約不備で契約無効を主張するかもしれません。

 しかし、もっと大事なことは、最終合意と書いてあるじゃないかという法的な冷たい対応ではなく倫理的に見て加害者である日本が被害者である韓国の不満を解消できるまで手厚く扱う気持ちが必要です。同じ日本人同士なら加害者が被害者の納得できるように対応し、毎年の慰霊訪問に期限を設けたりしないと思うが。対応の仕方は当ブログの50年培われた日韓関係を安倍1人がこわすなを参照ください。アメリカの視点で日韓関係をとらえています。   

 また参考にドイツがナチの犯した罪に対して被害者にどう対応したかをTime誌から引用します。期限などありません。15.12.21付Time誌

 ドイツのイスラエルとユダヤ人への強固な支援(ドイツへの飛行便は空港で武装警護される)、ドイツの軍隊を使用するのに消極的なこと、ドイツが集団で犯した罪を思い出させるものに対して、「ドイツ自身が過去と取り組んで過去を屈服させる」ためにほとんどいつも学校の授業や他の公共生活の1面に過去教育が組み込まれている。
原文:
There are many ways that Germany has made payments on its Nazi past-like its emphatic support for Israel(flights from which are met at Germany's airports by armed guards), its reluctance to use its military and intensely felt , almost constant reminders of collective guilt embeded in school curricula and every other facet of public life that make up what Germans call, after taking a deep breath, "wrestling the past into submission."   2019.8.4投稿、8/8改定