「別物です‼️高永さん…」
少しだけ弾いたあと、女の子は感嘆の声を上げた。
1961年に製造された自分は、同い年のその女の子が毎日毎日、弾きにきてくれるのが、とっても嬉しかった。
やがて、女の子は大人になって、家を出た。
そして、自分は何十年も実家の片隅で忘れ去られた存在になった。
でも、
きっとこの時がくるのをずっと息をひそめて待っていた。
ある日、運送会社の人たちが自分の足を外して、梱包し、トラックに乗せて東京まで遥々運んできた。
暗いトラックの荷台に揺られながら、自分はこれからどうなるんだろう?
そう思うと、不安だった。
気がつくと小さな工房の中で、古い弦と潰れたハンマーは、舶来のもの(後で聞いたらドイツらしい)に変わった。
古くてベタベタした響板の塗装は綺麗に塗り直され、新しいYAMAHAのロゴマークも貼り直された。
一年後
60代と思われる女の人がおずおずと工房に入ってきた。
自分を直してくれた調律師の人と少し話をしたあと、感慨深そうに自分を触った。
そして、短い曲を弾き始めた。
この指遣い、間の取り方、独特なピアニッシモの連打の癖…
(あの、女の子だ!)
63年前から知っているその女の子が、
何十年振りに目の前にいた。
演奏中に鍵盤にしたたる水滴は、この暑さのせいで流れた汗ではないことに
調律師さんは気づいているようだった。