李 白(り はく、701年 - 762年)

  中国の盛唐の時代の詩人である。

  字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。

  唐代のみならず中国詩歌史上において、

  同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。

  奔放で変幻自在な詩風から、

  後世に『詩仙』と称される。

          

  李白は多作であり、

  生涯に1万首ほどの詩を詠んだが、

  現存するのはそのうち1000首ほどとされる。

 

  李白は「酒仙」とまで呼ばれるように酒を愛したことで知られ、

  飲酒を礼賛した詩を数多く詠んでいる。

 

    魯郡東石門送杜二甫

     (ろぐんのひがしせきもんにてとにほをおくる)

               [五言律詩]

 

  漢文

    酔別復幾日

    登臨徧池臺

    何言石門路

    重有金樽開

    秋波落泗水

    海色明徂徠

    飛蓬各自遠

    且盡林中盃

 

  書き下し文    

    酔別(すいべつ)(ま)た幾日(いくにち)

    登臨(とうりん)池台(ちだい)に徧(あまね)

    何(なん)ぞ言(い)わん石門(せきもん)の路(みち)

    重(かさ)ねて金樽(きんそん)の開(ひら)くこと有(あ)らんと

    秋波(しゆうは)泗水(しすい)に落(お)

    海色(かいしよく)徂徠(そらい)に明(あきら)かなり

    飛蓬(ひほう)各自(かくじ)に遠(とお)

    且(しばら)く林中(りんちゆう)の盃(はい)を尽(つく)さん

 

  現代語訳

    別れを惜しんで酒に酔うことを、

     もう幾日くりかえしたことか。

    あちこちの山に登り水に臨に、

     池のほとりの高台をめぐりつくした。

    どうして言えよう、石門の路で、

    ふたたび、金樽の開かれることがあろうなどと。

    秋のさざ波は水量の減った泗水にたち、

    はるかな東海の海原の色は、

     明るい徂徠山に照りはえて美しい。

    秋風に飛ぶ根無し草のように、

     それぞれが遠く離れてしまうのだから、

    今はともかくも、

     林の中の杯を尽くして、   

     大いに飲もうではないか。

 

  鑑賞

    李白四十六歳の時の作。

    李白四十四歳、杜甫三十三歳の時、

    東都洛陽で二人は初めて出会った。

 

      [この時李白は

       翰林区奉(かんりんくぶ)の職をうばわれ、

       首都長安を追放され、

       山東の道士高天師を訪ね「道籙(どうろく)」を受けるため、

       途中洛陽に立ちよったのである。

       一方の杜甫は

       二十四歳の時、科挙の試験に落第し、

       放浪の生活をしたのち、

       洛陽に滞留して李白に出会った]

 

    この詩は、杜甫と山東省一帯をめぐった後、

    魯郡の東にあたる石門山で、

    杜甫と別れると時に作ったものである。

 

    この詩はひときわ真情のこもった作品である。

 

    別れを惜しみ酒を酌み交わす日が続く、

    李白と杜甫は別れ難く、 

    寂しさを酒で紛らわしている。

 

    君は君で、 

    私は私で行く手を定めない旅路につく、

    しばらく、黙して酒を飲みつくそう。

 

    思いは互いに限りなく脳裏を駆け巡る。

 

2026年9月9日

重陽の節句・菊の節句

  陽の数である奇数の極である

  9が2つ重なることから重陽と呼ばれ、

  たいへんめでたい日とされる。

  菊の花を飾ったり酒を飲んだりして祝った。

  日本以外の多くの国では現在も旧暦9月9日。

 

重陽神事と烏相撲

  9という「陽」の最大数が重なることから

  「重陽」と呼ばれる9月9日、

  毎年京都市北区の賀茂別雷神社(上賀茂神社)では、

  本殿に菊花を供えて無病息災を祈願した後、

  烏相撲が奉納される。

  烏相撲は、神社祭神の祖父賀茂建角身命が、

  八咫烏に姿を変えて神武天皇の東進を導いたという伝承と、

  悪霊退治や五穀豊穣を願う相撲が結び付いた神事とされる。

 

雨なので午前中はゴルフの練習に!