李 白(り はく、701年 - 762年)
中国の盛唐の時代の詩人である。
字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。
唐代のみならず中国詩歌史上において、
同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。
奔放で変幻自在な詩風から、
後世に『詩仙』と称される。
![]()
李白は多作であり、
生涯に1万首ほどの詩を詠んだが、
現存するのはそのうち1000首ほどとされる。
李白は「酒仙」とまで呼ばれるように酒を愛したことで知られ、
飲酒を礼賛した詩を数多く詠んでいる。
月下獨酌(げつかどくしやく) [五言古詩]
漢文
花閒一壺酒
獨酌無相親
擧杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影凌亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期邈雲漢
書き下し文
花間(かかん)一壺(いつこ)の酒
独り酌(く)んで相親(あいした)しむ無し
杯(さかずき)挙げて明月を邀(むか)へ
影に対して三人と成(な)る
月既(つきすで)に飲(いん)を解(かい)せず
影徒(かげいたず)らに我が身に随(したが)う
暫(しばら)く月と影とを伴(ともな)いて
行楽(こうらく)須(すべか)らく春に及(およ)ぶべし
我歌(われうた)えば月徘徊(つきはいかい)し
我舞(われま)えば影凌乱(かげりようらん)す
醒時(せいじ)は同(とも)に交歓(こうかん)し
酔後(すいご)は各(おのおの)分散(ぶんさん)す
永(なが)く無情(むじよう)の遊(ゆう)を結び
相期(あいき)して雲漢(うんかん)邈(はるか)なり
現代語訳
春の夜咲きにおう花の中で、一壺の酒をかかえ、
お互いに語り合う親しい人もいないので、
独りで酒を酌んだ。
そこで、杯を高くあげてのぼっていた明月を迎え、
これで、月と我とわが影と三人となった。
しかし、月はもともと酒を飲むことができないし、
影は影で、ただわが身につき従うばかりでつまらない。
まあしばらくはこのヤボな友の月と影とをつれにして、
春のよき季節をのがさずに楽しみを尽くしておこう。
わたしが歌うと月はふらふらと天上をさまよい、
わたしが舞うと影も地上で乱れ動く。
さめている時には、われら三人は喜びをたのしみ合うが、
酔って独り寝た後は、それぞれ別れ別れになったしまう。
いつまでも、世俗を離れた交遊を結ぼうと、
はるかな天(あま)の川で再会を約束する。
鑑賞
李白四十四歳の時の作である。
この詩は「月下独酌」と題する四首の連作であり、
これはその第一首である。
花の都の春の夜、
月の光のさす下に、
ひとり酒を酌みながら、
月と影を相手にしている様を述べたものである。
さながら一幕の芝居を見るような趣がある。
ことにおもしろいのは、
月は飲まないし、
影も、自分のあとばかりついてくる、ヤボな友だが、
仕方がないから一緒に飲もう、
と飲んでるうちに、
月と影も酔っぱらって、李白と三人、
飄々(ひょうひょう)とたわむれ合うところだ。
酒仙李白ならではの作である。
2026年9月6日
松崎しげるの日
松崎のデビュー45周年を記念して、
株式会社オフィスウォーカーが2016年に制定。
日付は、松崎が日に焼けた肌で
多くの人に親しまれていることにちなみ、
「ク(9)ロ(6)」の語呂合わせから。
元々肌の色が黒い松崎だったが、
ハワイなどの南国で休暇を取ることも
多いことからその黒さに磨きがかかり、
ついにはトレードマークとなった。
その黒さをキープするため日焼けサロンに通っており、
さらに近年では事務所に日焼けマシーンを
設置するほどである。
そしてファンの期待を裏切らないためと、
自宅にも日焼けマシーンを導入した。
自己紹介でも「歩くメラニン色素」を自称しており、
東海地方地盤の焼肉チェーン焼肉屋さかいの
CMでは「松崎こげる」のテロップまで出た。
午前中は氷上八幡神社で秋祭りの打ち合せがある。
午後はゴルフの練習。