王 昌齢(おう しょうれい、698年 - 755年?)

  中国唐の詩人。

  

  京兆府に生まれた。

  開元15年(727年)に進士となり、

  秘書省の校書郎から開元22年(734年)に

  博学宏詞科に及第して汜水県尉となったが、

  奔放な生活ぶりで江寧(現在の江蘇省南京市江寧区)

  県丞・竜標(現在の湖南省懐化市芷江トン族自治県)

  県尉に落とされた。

  その後、天宝14載(755年)、

  安禄山の乱の時に官を辞して故郷に帰るが、

  亳州刺史の閭丘暁に憎まれて殺された。

 

  後に閭丘暁は、安禄山軍の侵攻に対し、

  唐側の張巡を救援しなかった罪で、唐の張鎬に杖殺された。

  この時、閭丘暁は

    「親がいるので、命を助けて欲しい」

  と言ったが、張鎬は、

    「王昌齢の親は誰に養ってもらえばいいのか?」

  と反論し、閭丘暁は押し黙ったと伝えられる。

 

     芙蓉樓送辛漸 【芙蓉楼にて辛漸(しんぜん)を送る】

 

 

  漢文

    寒雨連江夜入呉

    平明送客楚山孤

    洛陽親友如相問

    一片冰心在玉壺

 

  書き下し文

    寒雨江(かんうこう)に連(つら)なって夜呉(ご)に入る

    平明客(へいめいかく)を送れば楚山孤(そざんこ)なり

    洛陽の親友(しんゆう)(も)し相問(あいと)わば

    一片の氷(ひよう)心玉壺(しんぎよくこ)に在(あ)

 

  現代語訳

    寒々とした雨が、川に雨脚を注ぐ中を、

     私たちは夜になって呉の地へ入って来た。

    やがて別れの夜も明けるころ、旅立つ君を見送ると、

     夜来の雨もやんで、朝もやのはれゆく中にポツンと

     楚の山が見える。

    君が洛陽に行けば、友達がきっとこう尋ねるだろう。

     王昌齢はどうしていると、と。

    そうしたら君は、王昌齢は一片の澄みきった氷が

     玉壺の中にあるような心境でいる、

     と答えくれたまえ。

 

  鑑賞

    前半の二句は送別の情景、

    「寒雨」という語がこの場の雰囲気を支配すると同時に、

    この詩全体の象徴的な語になっている。

 

    夜来の雨も上がり、白々明けにわが友辛漸を見送ると、

    ボーッとした朝もやのだんだんはれ上がってゆく中に、

    行く手に楚の山が「孤(ポツン)」としてある。

 

    前半の二句は、寒々とした寂寥感、孤独感うたって

    後半二句の深い味わいを導き出す用意をしているのである。

 

    辛漸は洛陽に行くと思われるが、

    洛陽は作者が左遷される前にいた所なので、

    なじみの友人がたくさんいる。

 

    彼らはきっと辛漸に

     「王昌齢は左遷されて、

        江南の地でさぞくさっているだろうな」

    と聞くだろう。

     「だがおあいにくさま、私はくさってなどいませんよ。

      玉の壺に入っている氷のように澄みきった心境でいるよ。

      そう答えてくれ」

    という。

 

    悟ったような口ぶりである。

 

    しかし読者は、この言葉の裏にある、

    左遷されたやりきれなさ、

    みんなのいる洛陽に帰りたいという

    痛いほどの思いを感じ取るのである。

 

    強がってみせて、

    その裏にどうしようもない悲哀がある。

    それこそが作者の狙いであり、

    この詩の見どころになっている。 

   

2026年6月12日

昨日、私が集会場でカラオケをしている間に、

Y君が蜜蜂の巣箱を追加(下の三段)してくれたようだ。

   

秋には一番上から蜜が取れるらしい!!

 

3日前に長野の弟がこちらに戻ってきていたが、

昨日、橋から出るとき視界を遮っていた草と

川沿いの畑の草を刈ってくれた。謝謝!!

      

午前中はT医療センター呼吸器内科で、

血液検査結果を聞くことになっている。

肺のCT検査では特に異常が無かったのだが・・・・?