王 昌齢(おう しょうれい、698年 - 755年?)
中国唐の詩人。
京兆府に生まれた。
開元15年(727年)に進士となり、
秘書省の校書郎から開元22年(734年)に
博学宏詞科に及第して汜水県尉となったが、
奔放な生活ぶりで江寧(現在の江蘇省南京市江寧区)
県丞・竜標(現在の湖南省懐化市芷江トン族自治県)
県尉に落とされた。
その後、天宝14載(755年)、
安禄山の乱の時に官を辞して故郷に帰るが、
亳州刺史の閭丘暁に憎まれて殺された。
後に閭丘暁は、安禄山軍の侵攻に対し、
唐側の張巡を救援しなかった罪で、唐の張鎬に杖殺された。
この時、閭丘暁は
「親がいるので、命を助けて欲しい」
と言ったが、張鎬は、
「王昌齢の親は誰に養ってもらえばいいのか?」
と反論し、閭丘暁は押し黙ったと伝えられる。
出塞(しゆつさい)【七言絶句】
漢文
秦時明月漢時關
萬里長征人未還
但使龍城飛將在
不敎胡馬度陰山
書き下し文
秦時(しんじ)の明月漢時(めいげつかんじ)の関
万里(ばんり)長征(ちようせい)して人未(いま)だ還らず
但(た)だ竜城(りゆうじよう)の飛将をして在(あ)らしめば
胡馬(こば)をして陰山を渡らしめず
現代語訳
秦のころにも照っていた明月、
漢の時代からおかれている関所。
今も昔も変わりがない。
万里も遠く長征して夫はまだ帰れない。
ただ漢代に、竜城の疲将軍と恐れられた、
かの李広(りこう)将軍のような名将がいたならば、
えびすの敵兵に、
陰山山脈をこえて侵入するようなことはさせないものを。
鑑賞
北方モンゴルを舞台にした風刺性含む辺塞詩である。
また、この詩は唐代五大絶句に数えられ、
特に起句は絶唱とされている。
漢の時代に匈奴の守りに築かれた関所……
唐代の今も、万里を遠征してきた兵士が守っている………
そこには千年を経た今も前王朝と変わらない
月の光が皓々とさえわたって照っている………
その光に照らされて、古来幾人の兵士が
戦争に駆り出され死んでいったことか………
ただ、この詩の場合、前半より後半に
うたいたい力点があるようだ。
おそらく作者の時代、すぐれた将軍がいないため、
北方異民族の脅威に十分な効果を上げえない状態であったので、
出征兵士の妻の口吻を借り、
それに対する風刺の意味をこめて作ったと思われる。
2026年6月9日
公淵公園のアジサイは咲き始めたところだった。
午前中はS医院へ診察とリハビリ。
昼食は九州旅行を計画しているM君と
病院の近くで食べながら打ち合せすることにしている。
今回は何県回れるかなぁ・・・?



