王 之渙(おう しかん、688年 - 742年)

  中国唐の詩人。字は季陵。并州晋陽県の出身。

 

  開元年間の初めに冀州衡水県の主簿に就いたが、

  他人とうまくゆかずに辞職し、

  15年間無官で過ごして、晩年に文安県の尉に就いた。

  当時、詩名は高く、

  その詩は人々に愛誦されたと伝えられている。

 

     涼州詞(りようしゆうし)

 

  漢文

    黄河遠上白雲閒

    一片孤城萬仞山

    羌笛何須怨楊柳

    春光不度玉門關

 

  書き下し文

    黄河遠く上(のぼ)る白雲の間

    一片の孤城(こじよう)萬仞(ばんじん)の山

    羌笛(きようてき)何ぞ須(もち)いん楊柳(ようりゆう)を怨むを

    春光(しゆんこう)(わた)らず玉門関(ぎよくもんかん)   

 

  現代語訳

    黄河をずっとさかのぼってはるか

     上流の白雲のたなびく辺り、

    そそり立つ山の所に、

     ポツンと一つあやうげな砦(とりで)がある。

    折から吹く羌族の笛の音は、

     「折楊柳」の曲を悲しげに奏でるが、

     そんな笛を吹くことはないぞ

      (それを聞いても悲しくなんかないのだから)

    なぜなら、ここ西の果ての玉門関までは

     春の光りがやって来ないのだから。

 

  鑑賞

    この詞の見どころは、

    後半の二句の一ひねりした悲哀の表現にある。

 

    前半の二句はそのための舞台装置といえよう。

    黄河上流の遠く遥かな西の果て、そこにポツンと立つ砦。

 

    ここに表出されるのは途方も距離感と荒涼たる世界の孤独感、

    そしてこれをバックに、

    涙もかれつきた兵士の姿が浮き彫りにされる。

 

    遠い遠い中国の最前線へ来ている兵士が別れの曲を聞けば、

    普通なら悲しいはずであるが、少しも悲しくないという。

 

    なぜか。

    春の光りは玉関門からこっちの方へは渡ってこないから。

 

    つまり春がこないのだから、楊柳が芽吹くこともない。

    したがって柳の枝が芽吹くころ、

    その枝を手折って別れの餞別にする

    主題の歌なんか聞いても少しも何ともない、

    というわけである。

 

    しかしこれは表面のこと。

    都は今ごろは春だろう、

    草木は萌えて人々は浮かれているだろう……

    だがこっちは見捨てられたも同然の、遠い砂漠の前線だ。

    

    なに悲しくなんかないぞ、

    と力むほどその悲しみが伝わってくるのである。

 

    この兵士はもう泣く涙なんか持っていない。

    「折楊柳」の曲を聞いて悲しいと感ずるのはまだいい方だ、

    ここは春の光りもやって来ないところなのだから、

    という絶望的な心境である。 

 

  玉門関は、中国で古代より文化人が

  辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地であった。

      

    漢代の玉門関遺跡(甘粛省敦煌市の北西約90kmにある)

 

  かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。

 

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