孟 浩然(もう こうねん、689年 - 740年)

  中国唐代(盛唐)の代表的な詩人。

 

  若い頃から各地を放浪し、義侠の振る舞いで人々と交流した。

  また後漢の龐徳公や後年の皮日休ゆかりの

  襄陽の鹿門山に隠棲したこともあった。

  玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとするが、

  科挙に及第していないのでかなわなかった。

 

  孟浩然の詩は広く知れ渡り、王維・李白・張九齢らと

  親しく交際した

   (李白には「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」

        (黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)

       という作品がある)。

 

  740年、背中にできものがあって調子の悪かった孟浩然は、

  訪ねてきた王昌齢を歓待するあまり容態を悪化させて亡くなった。

 

  自然を題材にした詩が評価されており、

  詩のなかに人生の愁いと超俗とを行き来する心情を詠みこんでいる。

  日本では五言絶句「春暁」が特に有名である。

 

     臨洞庭 [洞庭(どうてい)に臨(のぞ)む]

 

  漢文

    八月湖水平

    涵虡混太淸

    氣蒸雲夢澤

    波撼岳陽城

    欲濟無舟楫

    端居恥聖明

    坐觀垂釣者

    徒有羨魚淸

 

  書き下し文

    八月湖水(はちがつこすい)(たいらか)なり

    虚を涵(ひた)して太清(たいせい)に混(こん)

    気は蒸(む)す雲夢(うんぼう)(たく)

    波(なみ)(ゆる)がす岳陽城(がくようじよう)

    済(わた)らんと欲するに舟楫(しゆうしゆう)無し

    端居(たんきよ)聖明(せいめい)に恥(は)

    坐(そぞろ)に釣(ちよう)を垂(た)るる者を観て

    徒(いたず)らに魚を羨(うらや)むの情あり

 

  現代語訳

    空気の澄みきった仲秋八月の洞庭湖は増水期にあたり、

     ふだんの渚や洲(す)が姿をかくし、

      湖面は平らにはてしなく広がる。

    湖の水は大空をひたし、

     最も高い太清天までとどき、

      天空と湖水がまじりあう。

    湖面からたち上がる雲や霧は、

     雲・夢の大湿地帯いちめんにたちこめ、

    湖面に立つ波は、

     ここ岳陽の町全体をゆり動かさんばかりである。

 

    かくも広大な湖面を渡ろうと思っても、

     舟もかじもみあたらない。

    かといって、何もせずにいれば天子の恩徳に対して

     自らの不明を恥じるばかりだ。

    見るともなく釣り糸を垂れている人をながめては、

    ただ魚を得たい気持ちを起こすばかりである。

 

  鑑賞

    洞庭湖畔の岳陽楼からの風光は天下の絶景とされ、

    古来多くの詩人が詩材にしている。

      

         岳陽楼

   

    作者はまず秋の日の洞庭湖の湖面を、

    「平(たいらか)なり」と巨視的にとらえ、

    それを虚・太清といった天に対比させ、

    増水期に満々と水をたたえた湖面の広大さを際立たせた。

 

    次に有名な聨(れん)がくる。

 

    湖面には、水蒸気が立ち上がり、

    それに雲沢や夢沢にたちこめている。

 

    洞庭湖の持つ無限の奥深さ、霊妙さとともに、

    気が蒸し上る激しい縦の動き。

    そして足元に打ち寄せる波は割れて砕けて、

    岳陽の町をゆり動かさんばかりの    

    激しい横の動きがとらえられる。

 

    実にダイナミックな対句である。

 

    後半四句は「景」より触発された「情」を述べる。

 

    この雄大な洞庭の大自然を前にして、

    舟も楫(かじ)も無い。

    そして聖明に恥じつつ端居している作者は、

    孤独で不遇なのである。

 

    前半四句の自然描写が、

    スケールが大きくダイナミックであればあるほど、

    今の自分が情けないのだ。

 

    才を抱きつつ世にいれられない悔しさが胸をつく。  

 

2026年5月22日

午前中は人間ドックで要精査になったため、

T医療センターの呼吸器内科の診察を受ける。

  胸部X線

     左下肺野  陳旧性炎症疑い

     縦隔    心肥大

     両側肺野  陳旧性炎症

   判定  要精査

 

    肺のうち入口に当たる中枢に近いところを「肺門」といい、

    胸膜に近い奥のところを「肺野(はいや)」という。

    肺野はさらに上肺野、中肺野、下肺野に分けられる。

 

午後は集落の令和8年度農協実行組合長になったので、

「地域・支店合同運営委員会」に出席する。