張 説(ちょう えつ、667年 - 730年)
中国唐の政治家・詩人。字は道済。
西晋の司空の張華の末裔にあたる。
文官・武官として順調に官職を重ね、
工部侍郎・同中書門下平章事・中書令・
巡察使・節度使を歴任し、三度も宰相となった。
703年9月、魏元忠を疎んじた張易之・張昌宗の兄弟が
武則天に魏元忠が謀反を企んでいると誣告した。
張説は官位を餌に偽証を求められたが、
告発は虚偽のものであり魏元忠は無実であると主張して
欽州に流罪(魏元忠や高戩らと共に)となった。
このことから後に中宗や玄宗の信頼を得た。
また、詩人としても名を成し、
作品として『張説之文集』がある。
蜀道後期
[蜀道(しよくどう)にて期(き)に後(おく)る]
漢文
客心爭日月
來往預期程
秋風不相待
先至洛陽城
書き下し文
客心(かくしん)日月(じつげつ)と争う
来往(らいおう)預(あらかじ)め程(てい)を期す
秋風(しゆうふう)相(あい)待たず
先(ま)ず至(いた)る洛陽城
現代語訳
旅人の心は、日月の流れと速さを競う
かのようにせきたてられる。
というのも、往復の日程を
前もって決めておいたからなのだ。
ところが、秋風は旅人を待たず、
ひと足先に洛陽の町に着いてしまった。
鑑賞
この詩は、蜀に出張した作者が、何かの理由によって
予定の期日にもどれなかったことをうたう。
予定の期日とは、洛陽に秋風が吹く直前である。
秋風は西から東へ、
つまり蜀から洛陽に吹くものとされているから、
作者は秋風よりひと足先に
洛陽に入っていなければならなかったのである。
2026年5月2日
八十八夜
立春を起算日(1日目)として
88日目(立春の87日後の日)にあたる雑節のひとつ。
「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などといわれるように、
遅霜が発生する時期である。
一般に霜は八十八夜ごろまでといわれているが、
「九十九夜の泣き霜」という言葉もあり、
5月半ばごろまで泣いても泣ききれないほどの
大きな遅霜の被害が発生する地方もある。
それ以上に、旧暦では暦日と季節が最悪で半月もずれることから、
特に農家に対しての注意喚起を目的に八十八夜が生まれた。
この日に摘んだ茶は上等なものとされ、
この日にお茶を飲むと長生きするともいわれている
(茶葉に含まれる主な栄養成分であるカテキン、カフェイン、
アミノ酸類の含有量は八十八夜の頃に
最も豊富であることがわかっており、ある程度は科学的な根拠もある)。
昨日妻が、大連ー羽田(経由) ー 高松便(20時15分着)で、
帰省(昨年10月以来)した。
7日に東京に戻り、息子や姪家族と過ごし、
10日に大連に帰るようだ!
掃除マニアの妻は先ずリビングの出窓の埃や、
台所のシンクの汚れを簡単に掃除をしてから風呂に入る。
風呂では排水口(私はやっていない)を掃除したようで、
天井、壁は何とか合格だった。(ヤレヤレ)
寝る前に3品(筍の煮付け、ゼンマイのキンピラ、
ゴーヤとケンサキの酢の物)をつまみにして、
土産のブランディーをロックで2杯飲む!
(夕食時に飲んでいないので格別だった)
妻はまだ寝ているが、
午前中は二人で公淵公園へ散歩に行く事になるだろう!
午後は掃除の一日目がスタートする。
さてその間私は何をさせられるのか?
今日から5日間は女王様の言うとおり!!