陳 子昂(ちん すごう、661年 - 702年)
中国・唐代初期の詩人。
696年から、武攸宜(武則天の伯父の武士譲の孫)の率いる
契丹討伐軍に参謀(記室参軍)として参加した。
戦果をなかなか挙げられない武に対し、
策を上書し諫言を呈するも受け入れられず、
かえって降格処分となった。
老父の世話をするために帰郷する。
父が死去するとショックを受け、病弱な体質から体調が悪化し、
さらに県令の段簡による誣告で投獄されたため、
憤激のあまり獄死した。
薊丘覽古贈廬居士藏用
[薊丘(けいきゆう)覽古(らんこ)、
廬居(ろこ)士蔵用(じぞうよう)に贈る]
漢文
南登碣石坂
遙望黄金臺
丘陸盡喬木
昭王安在哉
霸圖悵已矣
驅馬復歸來
書き下し文
南のかた碣石坂(けつせきはん)に登り
遥か黄金台を望む
丘陸(きゆうりよう)尽(ことごと)く喬木(きようぼく)
昭王(しようおう)安(いず)くに在(あ)りや
覇図(はと)帳(ちよう)として已(や)んぬるかな
馬を駆(か)って復(ま)た帰り来(きた)る
現代語訳
薊丘(けいきゅう)の南、 碣石坂(けつせきはん)に登り、
はるか彼方(かなた)の黄金台をながめる。
しかし、あたりの丘陵は、
背の高い樹木でおおいつくされてしまっている。
賢者を重用したという昭王は、
どこへ行ってしまったか。
天下を掌中に入れようとした昭王の願いも、
もはや昔のことである。
私はたまらなくなり、
馬に鞭(むち)あて、もと来た道を帰るのだ。
鑑賞
詩は、武攸宜の作戦参謀として
契丹討伐に参加した時のものである。
子昂は、
不利な戦況を好転させるため、
短気決戦を主張し、
その先がけを自分に命じてくれるよう
建言したが用いられなかった。
失意のうちに、古の燕の旧跡を見てまわり、
賢臣を厚遇したといわれる昭王を偲ぶが、
かつての黄金台の跡もなく、
慷慨(こうがい)の心はいや増すばかり。
つき上げるように、「昭王はいずこ」と叫ぶ。
思えば、その間に千年の月日が流れているのだ。
放心したように、また馬を返して行く。
2026年4月20日
穀雨(こくう)は、二十四節気の第6。
田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨の降るころ。
穀雨とは、穀物の成長を助ける雨のことである。
『暦便覧』には
「春雨降りて百穀を生化すればなり」
と記されている。
昨日の昼前にK君が来て西瓜・胡瓜・トマトを植えてくれた。
西瓜3本
胡瓜2本 トマト1本
午前中は散歩。
今日から一週間で妻からのミッションを実行する。
1.寝室の敷布洗濯
2.洗濯槽の洗浄
3.風呂の大掃除(天井も)
4.トイレの大掃除
5.炬燵の上掛けの洗濯(コインランドリー)
6.庭の草刈り
7.花壇の花の植え替え
1~4は妻が何時も行っていることで、
他にもカーテン洗濯・フローリングワックス掛けなど
やるべき事(掃除が趣味?)が多い。
流石に年齢からか帰省中の掃除三昧も疲れるようで、
今回は私にやっておいて欲しいと頼まれている。
午後は6. 庭の草刈りを!
家の北側は2週間前に草枯らしを散布済み
(大分効果が出てきている)で、
南側の芝生は草刈り機で刈りこむ。


