駱 賓王(らく ひんおう、640年 - 684年?)
中国の唐代初期の詩人。
王勃・楊炯・盧照鄰とともに「初唐の四傑」と称せられる。
7歳から良く詩を賦し、成長してからは五言律詩にその妙を得た。
ことにその「帝京篇」は古今の絶唱とされる。
好んで数字を用いて対句をつくるので「算博士」の俗称がある。
易水送別(えきすいそうべつ)
漢文
此地別燕丹
壯士髪衝冠
昔時人已沒
今日水猶寒
書き下し文
此の地(ち)燕丹(えいたん)に別る
壮士(そうし)髪冠(はつかんむり)を衝(つ)く
昔時(せきじ)人已(ひとすで)に没(ぼつ)し
今日水猶(な)お寒し
現代語訳
荊軻(けいか)は、この易水のほとりで
燕(えん)の太子丹と別れた。
行く者も送る者も慷慨(こうかい)して、
怒髪は冠をついたという。
その時の人々は、もういない。
しかし、今日の別れにも、
易水の水だけは変わることなく
寒々と流れている。
鑑賞
この詩は、易水のほとりで人を送った時のものである。
易水で人を送れば、思い出すのは荊軻の故事。
荊 軻(けい か、? - 紀元前227年)
中国戦国時代末期の刺客。
燕の太子丹の命を受けて秦に赴き、
秦王政(後の始皇帝)を策略を用いて
暗殺しようとしたが失敗して殺された。
荊軻の出立に際し、
丹および事情を知る者たちはみな白衣白冠(喪服)を
身に纏って送別に列し、
易水(河北省西部を流れる河川)のほとりで
道祖神の儀を開いた。
いよいよ出発の途に就く時、友の高漸離が筑を奏で、
荊軻がそれに和して歌い、
やがて曲調が変徴の調べに移ると壮士たちは皆涙を流した。
この時に荊軻が生還を期さない覚悟を詠んだ
風蕭蕭兮易水寒
壮士一去兮不復還
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風蕭々として易水寒し |
という詩句は、
史記の中で最も有名な場面の一つとされる。
こうした、ほぼ九百年前の故事を思い浮かべながら、
人を送る詩人の心には厳粛なものがある。
2026年4月2日
午前中は田中農村運動公園の体育館(会議室)で卓球の練習。
10年ぐらい施設利用が無料(町民の登録団体は4時間/週)だったが、
令和8年度から町内の全ての施設(公民館も含む)利用が有料になった。
会議室利用料は300円/Hなので600円(私が支払い)になる。
(既に年会費5000円/人を集めており、私が会計になった)
1月18日に左手上腕骨骨幹部骨折いらい、
ヨーガ教室は休んでいたが、4月から参加するつもりだった。
昨日ヨーガ教室のSさんから電話があり、
「4月7日に4月受講料2000円とヨーガ本1000円以外に、
1000円を公民館利用料として集める」
との連絡があった。
ヨーガで利用する公民館は800円/Hなので、
ヨーガ教室の使用料は1600円/週、6400円/4週!!
メンバーは15人ぐらいなので、
月500円/人を負担する計算になる。