陶 淵明(とう えんめい、365年 - 427年)

  中国の魏晋南北朝時代の詩人。諱は

  尋陽郡柴桑県(現在の江西省九江市柴桑区)の人。

  郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、

  日常生活に即した詩文を多く残し、

  後世には「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。

 

    責子(子を責(せ)む)

 

  漢文

    白髪被兩鬢

    肌膚不復實

    雖有五男兒

    總不好紙筆

    阿舒已二八

    懶惰故無匹

    阿宣行志學

    而不愛文術

    雍端年十三

    不識六與七

    通子垂九齡

    但覓梨與栗

    天運苟如此

    且進杯中物

 

  書き下し文

    白髪両鬢(はくはつりょうびん)を被(おお)

    肌膚復(きふま)を実(み)たず

 

    五男児(ごだんじ)有りと雖(いえど)

    総(すべ)て紙筆(しひつ)を好まず

 

    阿舒(あじょ)は已(すで)に二八(にはち)

    懶惰故(らんだもと)より匹(たぐ)い無し

 

    阿宣行(あせんゆ)くゆく志学(しがく)にして

    而(しか)も文術(ぶんじゅつ)を愛せず 

 

    雍端(ようたん)は年十三(としじゅうさん)

    六と七とを識(し)らず

 

    通子九齡(つうしきゅうれい)に垂(なんなん)として

    但(た)だ梨と栗とを覓(もとむ)るのみ

 

    天運苟(てんうんいやし)くも此(かく)の如(ごと)くんば

    且(しばら)く杯中の物を進めん

 

  現代語訳

    白髪が両の鬢のあたりにかぶさってくるような年になって、

      肌はもはやみずみずしくはりきることはない。

 

    五人の男の子がいるけれども、

      そろいもそろって紙や筆(勉強)が好きでない。

 

    長男の舒ちゃんは、もう十六歳にもなるが、

      全く比べもののないくらいの怠け者。

 

    次男の宣ちゃんは、

      講師が十五歳で学問に志しをたてたというその年に、

        もうすぐなろうとしているが、

      それなのに学問が大きらいである。

 

    三男・四男の雍、端は、

      どちらも十三歳だが、

      六と七も知らないのだ。

 

    五男の通ちゃんは九歳になろうとしている。

      求めるものは梨やら栗やらばかりでたわいもない。

 

    天が私に与えた運命が、もしもこのようであるならば、

      まあまあ仕方がないから杯の中の物(酒)でも飲もうかい。

    

 

  鑑賞

    五人の息子の不出来、ぼんくらを嘆いている。

 

    浮世を離れて悠々としているはずの

    鉄人陶潜にも泣きどころがあったか、

    と愉快な詩である。

    特に三男、四男、末っ子のぼんくらぶりはおもしろい。

 

    この詩が作られたのは陶潜四十四歳のころ。

    当時としては、もう中年を過ぎ老年にさしかかった年代だ。

    この年で長男が十六といえば、遅い子持ちである。

 

    幸い恵まれ五人の子の成長に

    ずいぶん期待をかけていたのであった。

 

    あにはからんや、

    五人の息子はそろいもそろってぼんくらとは。

 

    酒でも飲まずにいらねない、

    という最後のつぶやきも、よくわかるというものである。

 

 

2026年3月1日

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」

   1月はお正月で賑やかに過ごし、

   2月は28日と少なく、

   3月は年度末で決算や卒業、進学、就職、

     引っ越しなど生活に大きく変化があります。

   ここから、1月・2月・3月はあっという間に

   過ぎてしまうと言われる様になった。

 

年金生活になってからは、

このことわざを意識したことはなかった。(毎日が日曜日)

しかし今年は骨折により入院したため、

1月は行く、2月は逃げるを実感し、

3月も去るか・・・?

[リハビリ(週2回)、高専同窓会(15/16日:滋賀県)、

 里山倶楽部(18日:高知県)と忙しい]

 

朝8時から家の西側の川掃除がある。

(三木町内全域で実施)

まだ左手が使えないのでごみ拾いを・・・!

  

それが終われば散歩に。