汗くさき青年歌集明日ありや

 
  鑑賞: 一年一度の自句自戒(!?)の日。
      いったい、あのただならぬ熱気は何だったのか。
 
      私がもぞもぞと学生運動に関わった
      1950年代後半ころの「歌声運動」のフィーバーぶりは……。
 
      いまでも鮮かに思い出すのは、
      一回生の初夏に、奈良での闘争を支援すべく、
      京都府学連が大挙して電車で向かったときのことだ。
 
      一般乗客は我々を避けて、
      他の車両に移動したのだったろう。
      貸し切り状態の車内で、
      私たちは歌いっぱなしであった。
 
      各国の革命歌をはじめ、
      「原爆許すまじ」「国際学連の歌」などの
      反戦歌やロシア民謡はわかるとして、
      不思議なことに日本民謡やシャンソンなども。
 
      がり版刷りの歌詞も用意されていたが、
      気のきいた奴は『青年歌集』を携帯していた。
 
      表紙に名前の見える関鑑子は、
      いまの東京芸大を出て、
      戦前には日本プロレタリア音楽家同盟で活躍した人。
 
      戦後はじめて開催されたメーデーの中央壇上で歌唱指導をし、
      「三十万人の群衆に対しては、
       どんな優れた音楽家でも一人よりは
       百人の合唱隊の方が必要だ」
      と述べている。
 
      表紙は、普通の農家の人々が楽しそうに歌っている写真だ。
 
      これは今で言うヤラセの図だとは思うけれど、
      当時の雰囲気としては、
      ありえない光景だなどとは言えないほどに、
      歌声運動は浸透していたのだ。
 
      告白しておけば、私は歌声運動が好きじゃなかった。
      デモの先導車でマイクを通して歌ったこともあるけれど、
      みんなで声を合わせるのが性に合わないのだった。
      「革命」運動に歌なんていらない……という気持ちもあった。
 
      それでも必要なので、何冊かの『青年歌集』は持っていた。
      京都を離れるときに、歌声喫茶の歌集とともに、
      みんな捨ててしまった。
 
      それにしても、あの頃の歌へのすさまじい熱気は、
      何だったのだろうか。
        『匙洗う人』(1991)所収。
          (清水哲男)
 
 うたごえ運動(うたごえうんどう)
   第二次世界大戦後の日本における合唱団の
   演奏活動を中心とした大衆的な社会運動・政治運動である。
   共産主義もしくは社会民主主義を思想的な基盤として、
   労働運動や学生運動と結びつきながら、
   全国各地の職場、学園、居住地に合唱サークルを組織し、
   1950年代から1960年代にその最盛期を迎えた。
   声楽家の関鑑子が運動の創始者とされる。 
 
 歌声喫茶(うたごえきっさ)
   客全員が歌う(合唱)ことを想定した喫茶店である。
   1955年前後の東京など日本の都市部で流行し、
   1970年代までに衰退した。
   うたごえ運動により普及したことから
   「うたごえ喫茶」と平仮名表記されることも多い。
 
 
私が学生だった頃(1968年~72年)は、
高松にも「うたごえ喫茶」なるものがあったが、
行ったことは一度も無い。(ちょっと怖かった)
 
今は「からおけ喫茶」に時々行って楽しんでいる。
これでいいのだ!!
 
2024年7月24日
作業時間は丁度1時間。
これぐらいでもこの暑さの中では堪えた。
長野の弟は香川に来るたびに
この10倍ぐらいの広さの草刈りをしてくれる。
弟に感謝感謝である。
 
後は花壇の草抜きだが・・・?
 
午前中は集会場で老人健康増進講座の
『さんさん会』に参加する。
 
午後はゴルフの練習に行くつもりである。