地下鉄にかすかな峠ありて夏至

  鑑賞: 思えば地下鉄ほど
      外界から切り離された場所はないだろう。
 
      地下鉄からは光る雲も、
      風に揺らぐ緑の木々も見えない。
 
      真っ暗な軌道を轟音とともに走る車両の中では
      外の景色を見て電車の上り下りを
      感じることはできない。
 
      地下鉄にも高低差はあるだろうが、
      電車の揺れに生じる微妙な変化を
      身体で感じるしかないのだ。
 
      その起伏を表すのに人工的な地下鉄からは最も遠い
      「峠」という言葉にゆきあたったとき、
      作者は「ああ、そういえば今日は夏至」と
      改めて思ったのかもしれない。
 
      昼が最も長く夜が最も短いこの日をピークに
      昼の長さは短くなってゆく。
 
      しかし「夏至」という言葉にその頂点を感じても
      太陽のあり方に目に見える変化が起こるわけではない。
 
      「かすかな峠ありて夏至」と少し間延びした
      言葉の連なりにその微妙な変化を媒介にした
      地下鉄の起伏と太陽の運行との結びつきが感じられる。
 
      都会生活の中では、
      自然の変化を肌で感じられる場所はどんどん失われている。
 
      だが、味気ない現実に閉じ込められるのではなく
      作者は自分の身体をアンテナにして
      鉄とコンクリートの外側にある
      季節の変化を敏感に受信している。
 
      「かすかな」変化に敏感な作者の感受性を介して
      都会の暗闇を走る地下鉄は
      明るく眩しい太陽の運行と結びつき、
      それまでとは違う表情を見せ始めるのだ。
 
         『静かな水』(2002)所収。
           (三宅やよい)
 
明日が夏至である。
夏真っ盛りなのだが、
この日を境に日が短くなっていく。
・・・峠を越えた・・・
そんな気にもなるのが不思議である。
 
2024年6月20日
昨夜の夕食(16時過ぎ)
青椒肉絲は作ったが、他は天理教の月次祭のお下がり。謝謝!
 
これで冷蔵庫の、
胡瓜・茄子を辛子漬けで、
ピーマンも今回で消費できた。
(まだ茄子は5,6本残っている)
 
夕方畑に行って、
胡瓜・茄子・ピーマンを前回と同じぐらい収穫した。
 
これ以上は我が家での消費は無理なので、
妹に連絡して全部持って帰ってもらった。ヤレヤレ!
 
西瓜も10個ぐらいなっていたので、
K君からもらっていた敷物を置いた。
2個は大分大きくなっている。いつ食べられるかなぁ・・・?
 
午前中は卓球の練習。
 
今日あたりからヒノヒカリの田植えが本格的に始まる。
明日から一週間は雨の予想なので、
小川下池のユル抜きはしなくてすみそうだ!
 
芝刈り機では刈り切れなかった芝生の草が目立ってきている。
雨になる前に、
午後は草刈り機で伸びた草だけを刈るつもりだ!
(金属刃からナイロン線に変えて)
 
さて、残っている茄子の消費は・・・?
昼は茄子の味噌汁、
夜は麻婆茄子を作ろう!
 
今日は残っている茄子の煮付・辛子漬けを加え、
茄子三昧になりそうだ!!
 
夕方畑を覗きに行くが・・・・、
しばらく”いらん”でぇ!!