詩は翻訳できるものではない、

  すべての芸術も。

 

  アンドレイ・タルコフスキー

    ソ連の映画監督。

 

    「映像の詩人」と呼ばれ、

    叙情的とも言える自然描写、

    とりわけ「水」の象徴性を巧みに利用した

    独特の映像美で知られる。

 

    1932年4月4日、

    ヴォルガ川流域のイワノヴォ地区、

    ユリエヴェツの近郊ザブラジェで生れる。

    父はウクライナの詩人として著名な

    アルセニー・タルコフスキー。

 

    赤貧のうちに育ち、

    芸術学校でまず音楽の勉強をしたが

    家にピアノが無いので練習不足で断念。

    次に絵の勉強を始めるが結核で一年間療養生活を送る。

    

    父親の尽力もあって1954年に

    全ソ国立映画大学(現全ロシア映画大学)に入学。

 

    卒業制作短編 の『ローラーとバイオリン』(監督)は

    ニューヨーク国際学生映画コンクールで第一位を受賞。

 

    1962年にウラジーミル・ボゴモーロフの

    ベストセラー小説『イワン』を原作とした

    『僕の村は戦場だった』に急遽代役起用され、

    長編映画監督としてデビューし、

    本作で1962年の第23回ヴェネツィア国際映画祭で

    金獅子賞を史上最年少(30歳)で受賞。

 

    映画監督としての力量自体は

    モスフィルム関係者の中でも認められており、

    1972年には莫大な費用を費やした

    『惑星ソラリス』(スタニスワフ・レム原作)を製作。

    SF映画の概念を一変させたと評価された。

    第25回カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。

 

    その後、

    あくまで芸術家の自律性と表現の自由を求めるタルコフスキーは、

    ソ連を出国。

    イタリアにおいてフェデリコ・フェリーニの映画に

    脚本家として関わっていたトニーノ・グエッラを起用して

    『ノスタルジア』を撮影。1983年完成。

    第36回カンヌ国際映画祭創造大賞、国際映画批評家賞、

    エキュメニック賞受賞。

 

    『ノスタルジア』

       異国で暮らす主人公に、

       子供のころの心象風景が幻想的に

       甦る美しい作品である。

 

       主人公たちは、

       かつてロシアに帰国すると

       奴隷となると知りつつ帰国し自殺した

       音楽家パベル・サスノフスキーの

       足跡を追って旅をする。

 

       ここにもタルコフスキーの持つ

       ロシアへの郷愁が見られる。

 

       一方、ヒロインは、

       ロシアの詩人アルセイニ・タルコフスキー

       (タルコフスキーの父)の詩をイタリア語で読む。

 

       それに対し、

       主人公の詩人ゴルチャコフが発するのが

       上記の言葉である。

        

    深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、

    人類の救済をテーマとした作品を制作・監督する。

    表現の自由を求めてソ連から亡命し、

    故郷に還ることなく、パリにて54歳で客死する。

 

  詩もどの芸術も翻訳できない。

  それは、

  本国を離れ異国で暮らし、

  異国で生きることの違和感を

  常に覚え続けたいた者だからこそ

  言える言葉なのかもしれない。

 

2024年6月19日

昨日、茄子と胡瓜の辛子漬けを作った。

それぞれ1kgほど消費できた。

(まだまだ採れるはずである)

昼食に食べるつもりだ!

 

今夜はピーマンを消費しないと・・・・、

さて、何を作るかなぁ・・・・?

 

冷凍室に豚ロース(焼き肉用)があったので、

チンジャオロースにしよう!!

 

午前中はゴルフの練習。