私は、世界に日本人として生きたいと思う。

   それはまた、世界人として

日本に生きることにもなるだろうと思う。

 

  藤田嗣治    

    日本生まれのフランスの画家・彫刻家。

    フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・ツグハル・フジタ

    (レオナール・フジタとも)。

    第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、

    猫と女を得意な画題とし、

    日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、

    独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは

    西洋画壇の絶賛を浴びた。

    エコール・ド・パリの代表的な画家である。

 

    パリの寵児

      1914年、

      パリでの生活を始めてわずか1年後に第一次世界大戦が勃発。

      日本からの送金が途絶え、生活は貧窮した。

 

      シェロン画廊で開催されたこの最初の個展では、

      著名な美術評論家であったアンドレ・サルモン が序文を書き、

      良い評価を受けて、すぐに絵も高値で売れるようになった。

      翌1918年に第一次世界大戦が終結。

 

      面相筆による線描を生かした独自の技法による、

      独特の透きとおるような画風はこの頃に確立。

      以後、サロンに出す度に黒山の人だかりができた。

      サロン・ドートンヌの審査員にも推挙され、

      急速に藤田の名声は高まった。

 

      当時のモンパルナスにおいて

      経済的な面でも成功を収めた数少ない画家であり、

      画家仲間では珍しかった熱い湯の出るバスタブを据え付けた。

      多くのモデルが

      この部屋にやって来てはささやかな贅沢を楽しんだが、

      その中にはマン・レイの愛人であったキキも含まれている。

      彼女は藤田のためにヌードとなったが、

      その中でも『寝室の裸婦キキ 』と題される作品は、

      1922年のサロン・ドートンヌでセンセーションを巻き起こし、

      8000フラン以上で買いとられた。

モンパルナスを歩く藤田嗣治とアリス・プラン(キキ)

 

    戦争画

      日中戦争勃発後に日本に戻っていた藤田には、

      陸軍報道部から戦争記録画(戦争画)を描くように要請があった。

      国民を鼓舞するために大きなキャンバスに写実的な絵を、

      と求められて描き上げた絵は100号200号の大作で、

      戦場の残酷さ、凄惨、混乱を細部まで濃密に描き出しており、

      一般に求められた戦争画の枠には当てはまらないものだった。

      同時に自身は、

      クリスチャンとしての思想を戦争画に取り入れ表現している。

 

      1945年8月の終戦で戦争画を描くことはなくなったが、

      終戦後の連合国軍の占領下で、

      日本美術会の書記長で

      同時期に日本共産党に入党した内田巌などにより、

      半ばスケープゴートに近い形で「戦争協力者」と非難された。

      藤田は、連合国軍占領下の1949年に渡仏の許可が得られると

       「絵描きは絵だけ描いて下さい。

        仲間喧嘩をしないで下さい。

        日本画壇は早く国際水準に到達して下さい

      との言葉を残してフランスへ移住し、生涯日本には戻らなかった。

      渡仏後、藤田は

        「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」

      とよく語った。

 

    乳白色の肌の秘密

      藤田は絵の特徴であった

      『乳白色の肌』の秘密については一切語らなかった。

      近年、絵画が修復された際にその実態が明らかにされた。

 

      藤田は、硫酸バリウムを下地に用い、

      その上に炭酸カルシウムと鉛白を

      1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた。

      炭酸カルシウムは油と混ざるとほんのわずかに黄色を帯びる。

      さらに絵画の下地表層からはタルクが検出されており、

      その正体は和光堂のシッカロールだったことが

      2011年に発表された。

 

  日本へのノスタルジーと日本文化への共感・誇り。

  彼がフランスでの生活時に残した、

  ささやかな日本食の記録と広沢虎造の浪曲などのレコード。

 

帰化したが日本人として生き、死んだ彼の言葉が愛おしい!!!

 

2024年6月16日

昨日、キッチン台の扉のスライド丁番が1個壊れたので、

同級生K君に頼んで直してもらった。

 

ダイキ三木で”全かぶせ”と”半かぶせ”を1個づつ買ってきたが、

結局”全かぶせ”だったので、

”半かぶせ”の方は返品もしくは取替えに行くつもりである。

(材料費1個547円、取り付け費はリポビタンクリア10本で・・・)

 

リビングのエアコン(2011年製・三菱)はやはり故障のようで、

明日15時頃M電気が来て

取替(2024年製・パナソニック)ることになった。

(最新モデルなので工事費込みで22万・・・痛い出費になった)

 

午前中は久しぶりに散歩がてら、

小川下池の水位を確認に行く。