どんどん、くだらなくなっている。

音楽もTVもどんどん低能になっている。

  殺人も犯罪も短絡的になっている。

 警察は庶民を守ってはくれなくなった…………

誰も本当のことを言わなくなってしまった。

 利権やせこい金で心を閉ざしちまったのさ。

おもしろいお国柄だ。

 

  忌野清志郎

    日本のロックミュージシャン、俳優。

    本名:栗原 清志(くりはら きよし)。

 

    RCサクセションを筆頭に、

    忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、

    ラフィータフィーなどのバンドを率い、

    ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。

 

    そのステージ上における圧倒的な存在感と、

    1983年に発表されたRCサクセションの

    ライブアルバム「THE KING OF LIVE」の印象から、

    ザ・キング・オブ・ロックの異名を取った。

 

    清志郎の母親の最初の夫(清志郎の実の父親ではない)は

    結婚して間もなく戦死しており、

    母親はのちに再婚して清志郎を生んだが、

    清志郎が3歳の時に33歳で亡くなった。

 

    東京都立日野高等学校に進学。

 

    高校時代、

    清志郎はサイケデリック・ミュージックの流れで

    ビートルズやザ・バンドを聞き込んでいたが、

    ジョン・リー・フッカー好きの友人の影響で、

    ブルースに傾倒するようになる。

 

    その後、バンドの解散/再編

    (The Clover→「The Remainders of The Clover」→

     「The Remainders of The Clover Succession」)

    を繰り返す。

 

    1970年、

    フォークグループRCサクセションとして

    シングル「宝くじは買わない」でデビュー。

 

    「忌野」という芸名は、

    テレビアニメ「マイティ・ハーキュリー」で

    悪役「鉄仮面」登場シーンにおいて、

    「あの忌まわしい鉄仮面」というナレーションを

    幼少期に「カッコイイ言葉だな」と感じ、

    「今わの際」という日本語と掛け合わせて「忌野」と命名した。

 

    1972年、

    シングル「ぼくの好きな先生」が

    スマッシュヒットしたものの後が続かず、

    また事務所関係のトラブルが発生したこともあり、

    長期にわたってバンド活動は低迷する。

 

    当時忌野は、後に妻となる石井景子と交際していたが、

    彼女の父親に結婚を拒絶され、

    「売れなくては!」と心に誓ったという。

    そして忌野のとレードマークとなる、

    ”化粧”が生み出される。

 

    化粧をして初めてステージに立ったのは1978年、

    その2年後1980年のシングル

    「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」、

    アルバム『RHAPSODY』のヒットで、

    YMOの坂本龍一と並び、

    RCサクセションの忌野清志郎はメディアの

    寵児として取り上げられることになった。

 

  上記の言葉は、

  忌野が1998年11月から2001年4月に欠けて

  雑誌『TV Bros』で連載した

  『瀕死の助六問屋』第35話の一節である。

 

   (理想郷である「瀕死の助六問屋」で暮らす男が、

     縦横無尽に音楽への愛や社会への怒りを

     語り尽くすというサイケな作品。)

 

  音楽もTVもどんどん低能に・・・

  殺人も犯罪も短絡的に・・・・

  誰も本当のことを言わなくなって・・

 

その発言から25年、

より一層その傾向が強くなっているような気がする。

 

おもしろい国柄などと・・・笑ってはいられない!

 

とくにTVは面白くない、特に年寄りには・・・?

 

2024年5月20日

午前中は集会場で卓球の練習。

 

午後はカラオケ教室。

 

今朝ゴルフ場の週間天気をチェックする。

  5月22日 コートベール徳島GC

    晴れ時々曇り 降水確率 10%

 

   ☆コンペには問題無さそう!!

 

  5月26日 高松グランドCC

    曇り時々晴れ 降水確率 20%

 

   ☆小川下池の堤防草刈りも予定通り出来そうだ。

 

ヤレヤレ!ホッとしている。