絶えずベートーヴェンのような巨人が

後ろからのっしのっしと歩いているのが聞こえる。

    その気持がどんなものか、

   君には見当もつかないだろう。

 

  ヨハネ・ブラームス

    ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。

    J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に

    ドイツ音楽における三大Bとも称される。

 

    1833年5月7日にハンブルクで生まれた。

    彼に最初の音楽レッスンを行った父は、

    市民劇場のコントラバス奏者だった。

 

    7歳の時から

    オットー・フリードリヒ・ヴィリバルト・コッセルに

    ピアノを学ぶようになった。

    ブラームスはピアノの早熟な才能を現し、

    10歳の時に初めてステージに立った。

 

    ブラームスの生家は貧しかったため、

    13歳のころからレストランや居酒屋で

    ピアノを演奏することによって家計を支えた。

 

     ブラームス自身はピアニストとして確かな腕を持っていたが、

    同時代の名手と比べると地味な存在であり、

    後に作曲に専念すると決意してほとんど演奏活動からは手を引く。

 

    1862年にウィーンを初めて訪れた後、

    ブラームスはウィーン・ジングアカデミーの指揮者としての

    招聘を受けウィーンに居着くことになる。

 

    ウィーン移住からおよそ10年後の1876年に、

    19年の歳月をかけた

    『交響曲第1番 ハ短調』(作品68)を完成させた。

    この作品は後に指揮者のビューローをして

    「ベートーヴェンの10番目の交響曲のようだ」と語らしめた。

 

    大部分のロマン派の作曲家と同様、

    ブラームスは自身の『交響曲第1番』に見られるように

    ベートーヴェンを崇拝していた。

 

    彼の手によるソナタ、交響曲と協奏曲では

    古典的な形式を採用し、ソナタ形式の楽章を作曲した。

    特に、管弦楽曲では中重低音域の楽器を偏重し、

    変奏曲などの複雑な手法を用いたため晦渋と評されることも多い。

 

    一般にブラームスはロマン派の作曲家の中で

    最も古典派に近いと考えられており、

    「新古典派」と呼ばれることもある。

 

    ブラームスの完璧主義は徹底していて、

    現存するごく一部を除いて完成した作品の

    スケッチや初稿はほとんど破棄してしまうのが常だった。

    実際、最初の作品を発表するまでにヴァイオリンソナタ3曲、

    弦楽四重奏曲20曲以上を世に出すことなく

    焼き捨てたと発言している。

 

      バッハ(1685~1750)、ベートーヴェン(1770~1827)、

      リスト(1811~1886)、ワーグナー(1813~1883)、       

      ブルックナー(1824~1897)、

      ブラームス(1833~1897)、ドヴォルザーク(1841~1904)

 

    リヒャルト・ワーグナーとは反りが合わなかったことで知られている。

    ワーグナーの影響を受けたアントン・ブルックナーとも、

    しばしば衝突した。

    また、アントニン・ドヴォルザークの才能を見出し、

    支援したのもブラームスである

     (ブラームスは、

     彼のメロディーメーカーとしての才能を羨んで

     「彼の屑籠をあされば、交響曲が一曲書けるだろう」

    と語っている)

 

 

崇拝しているベートーベンを超える難しさ、

また同世代のワーグナーとの対立、

後輩ドヴォルザークの羨む才能・・・・・!

 

上記の名言は完璧主義者ブラームスの本音なのだろう!!

 

2024年4月19日

昨日、カラオケ仲間のKさんから貰った芝刈り機で、

約2時間かけて庭の芝刈りをした。

 

東の隅が少し残ってるので、今日の午後に終わらせるつもりだ。

 

10時頃同級生のK君が西瓜・茄子・胡瓜をそれぞれ3本と

ピーマン1本の苗木を買って来てるくれる。

 

3月に弟が長野に帰る前に

堆肥を撒き畝立(4筋)てをして、

ジャガイモを6本植えていてそれが大分成長している。

(一切水をやっていないが6月には収穫できるだろう)

 

K君から西瓜用に二つの畝を一つにして、

2mぐらいに広げるようにいわれている。

 

彼が来る前にマルチを除けて準備をしておく。