閣下、(a+bn)/n=x

故に神は存在する。何かご意見は?

 

  レオンハルト・オイラー    

    18世紀の数学者・天文学者(天体物理学者)である。

    当時の数学界の中心的人物となり、

    19世紀へと続く厳密化・抽象化時代の礎を築いた。

 

    数学者としての膨大な業績と、

    後世の数学界に与えた影響力の大きさから、

    19世紀のガウスと共に数学界の二大巨人の一人と呼ばれている。

 

    1707年、スイスのバーゼルに生まれる。

    オイラーの父も数学の教育を受けた人物であったが、

    オイラーには自分の後を継いで牧師になることを望んでいた。

 

    1720年にはバーゼル大学に入学し哲学を学んだが、

    ここで数学者ヨハン・ベルヌーイに出会って

    数学の才能を見出された。

 

    1724年には神学の道へと一旦進んだものの、

    オイラー自身は数学に強い興味を抱いており、

    またその才能を見込んだベルヌーイが両親を説得したため、

    数学専攻へと転じることとなった。

 

    1734年には画家ゲオルク・グゼルの

    娘カタリーナ・グゼルと結婚し、

    1735年、数論の未解決問題だった

    バーゼル問題を解決したことで有名になった。

 

    しかし、1738年には片目を失明し、

    さらに帝政ロシアの政情不安によって、

    研究生活は不安定になった。

 

    1741年、プロイセン王国のフリードリヒ2世の依頼で

    ベルリン・アカデミーの会員となり、ドイツへ移住した。

    オイラーはここでも高い業績を上げ、

    『無限解析入門』 と『微分学教程』という

    2冊の数学書を出版した。

 

    啓蒙君主を自認するエカチェリーナ2世が帝位につき、

    1766年にオイラーは再びサンクトペテルブルクに戻り、

    ここで厚遇を受けた。

    しかし、1738年ごろより視力が低下し、

    1771年ごろには両目を完全に失明した。

 

    両目の失明後は、

    オイラーの口述を子どもたちが筆記して、

    論文に仕上げたという。

 

    失明後もオイラーの研究意欲が衰えることは全くなく、

    同僚の教授たちに自分の論文を読んでもらい、

    内容に間違いがないか確認し、

    脳内で「執筆」した論文を口述筆記してもらうことで

    多数の論文を生産した。

 

    1783年に76歳で亡くなるその日まで精力的な研究活動を続け、

    人類史上最多とも言われる膨大な量の論文や著書を遺した。

 

    解析学

      解析学(無限小解析)においては膨大な業績があり、

      微分積分の創始以来最もこの分野の

      技法的な完成に寄与したとされる。

      彼の名前は指数関数と三角関数の関係を与える

      オイラーの公式やオイラー=マクローリンの和公式、

      オイラーの微分方程式、オイラーの定数などとして残っている。

 

    数論

      現在でも、数論的関数の一つである

      オイラー関数(オイラーのφ関数)に彼の名前が残っている。

 

    幾何学

      幾何学においては、

      位相幾何学のはしりとなったオイラーの多面体定理

      (ただしオイラーは証明を与えていない)や

      「ケーニヒスベルクの橋の問題」が特に有名である。

 

  この名言は

  18世紀、ロシアの女帝エカチュリーナ2世から

   「ドゥニ・ディドロ(フランスの哲学者・美術評論家)が

    無神論を吹聴しているので何とかしてほしい」

  と依頼を受けたオイラーは、

  ディドロと対面すると  

   「閣下、(a+bn)/n=x

    故に神は存在する。何かご意見は?」

  と問いかけた。

  この数式自体は何の意味もないデタラメだが、

  これを聞いたディドロは一切の反論もなく

  逃げ帰ったとされている。

 

神がいると信じたい!

そうでないと

「苦しい時の神頼み」

私のような弱い人間の、

逃げ場が無くなって生きにくい!!

 

2024年4月7日

我が家の桜も満開である。

亡くなった父が植えて60年以上になると思う。

毎年綺麗な花を咲かせてくれていたが、

枯れて全盛期の2割程度に・・・・!

いつまで咲いてくれるのだろうか?

 

11時から集会場で

小川下池水利組合の令和5年度の役員・総代会ががある。

(役員7名・池守2名・総代8人)

 

令和4年に池守になっていたが、

令和5年から4年間役員の会計を代役することになって、

決算報告書を作成している。

 

池の貯水量も16m(満水20.7m)を超え、

早植えのコシヒカの田植え

(ゴールデンウィーク中)に間に合った!

池守としては一安心である。