絵を描く時、

 人は思考していない。

 

  ラファエロ・サンティ

    盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家。

 

    ラファエロの作品はその明確さと分かりやすい構成とともに、

    雄大な人間性を謳う新プラトン主義を

    美術作品に昇華したとして高く評価されており、

    レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、

    盛期ルネサンスの三大巨匠といわれている。

 

    ラファエロは異例なほどに大規模な工房を経営しており、

    短い生涯に多数の作品を制作した。

    多くの作品がヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に残されており、

    とくに「ラファエロの間」と総称される4部屋のフレスコ画は、

    ラファエロの最盛期作品における最大のコレクションとなっており、

    最初に手がけられたのは「署名の間」と呼ばれる部屋である。

 

    もっとも有名な作品の一つの『アテナイの学堂』も

    「ラファエロの間」のうち「署名の間」と呼ばれる

    部屋のフレスコ壁画である。

 

    ラファエロの間

      「ラファエロの間」と呼ばれる一連の部屋には、

      東から入って西に向かって歩いていくと、

        「コンスタンティヌスの間 」

                    十字架の出現

 

        「ヘリオドロスの間 」

           神殿から追放されるヘリオドロス

 

        「署名の間 」

                    聖体の論議

                  アテナイの学堂

 

        「ボルゴの火災の間」

                   ボルゴの火災

       と続いている。

 

    レオナルドはラファエロよりも30歳年長で、

    当時ローマで活動していたミケランジェロは

    ラファエロよりも7歳年長だった。

    ミケランジェロはレオナルドを嫌っており、

    後年ローマで活動したラファエロのことも

    自分に対して陰謀をめぐらす若造として更に嫌っていた。

 

    ミケランジェロが描きあげた

    『システィーナ礼拝堂天井画』は、

    その後数百年にわたってほかの画家たちを

    怖気づかせるに十分足る圧倒的な作品だったが、

    ラファエロは誰よりも早くその影響を

    自身の絵画に取り入れただけではなく、

    おそらくは他の誰よりもミケランジェロの作風を

    昇華できた芸術家だった。

 

    『アテナイの学堂』にはミケランジェロの肖像が

    哲学者ヘラクレイトスとして描かれており、

    ラファエロの間に描かれている

    そのほかの人物像にも『システィーナ礼拝堂天井画』に

    描かれた巫女(シビュラ)や

    裸体の青年(イニューディ)からの影響が見られる。

 

    しかしながら単なるミケランジェロの模倣にはとどまらず、

    ラファエロ自身の作風とミケランジェロからの影響が

    渾然一体となった作品として仕上がっている。

 

    ただし、ミケランジェロは

    ラファエロが自分の絵画を盗作したと非難しており、

    ラファエロが死去した後にも

    「彼(ラファエロ)の芸術に関する知見は、

     すべて私(ミケランジェロ)から得たものだ」

    という不満に満ちた書簡を残している。

 

  ラファエロは実際、

  先人から多くを学んだ。

  彼は短期間で理想的な人間表現を学び、

  調和的な世界を描ききった。

  ただ、筆を執ったら、

  すでに学び取っていた先人の画業を十分に咀嚼し、

  自分の色で描き出すことにのみ専念し、

  立ち止まり思考することはなかったと考えられる。

 

人間は集中すると思考が消えることがある。

ラファエロも、自らそういった状態で

多くの傑作を生み出したとも考えられる。

 

2024年4月4日

清明は二十四節気の第5。  

  万物が清々しく明るく美しいころ。

  『こよみ便覧』には三月節に

   「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」

  と記されている。

 

  中国における清明節は祖先の墓に参り、

  草むしりをして墓を掃除する日であり、

  「掃墓節」とも呼ばれた。

  また、春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。

 

  『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも

  清明節でにぎわう杭州の郊外であった。

 

  また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、

  清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、

  穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。

 

  中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、

  香りと甘みがあり、高級とされている。

 

  また、古代の寒食節の影響で特定の期間だけ火を使わず

  料理を作る風習が残っている地方がわずかながら存在する。

 

  沖縄本島中南部(中頭、島尻)、伊是名島、伊平屋島、

  慶良間諸島等では「清明祭」として取り行われる。

  これらの地域では中国の風習と同様に

  お墓の掃除をするとともに墓参を行い、

  まるでピクニックのような雰囲気で親類が揃って

  墓前で祖先と共に食事(餅や豚肉料理、お菓子、果物など)

  を楽しむ風習が見られる。

 

午前中は卓球の練習。

 

午後は2ヶ月ぶりに散髪に!

 

散髪屋の店主から髪を染めるとハゲが進むと言われ、

染めるのを止めて半年がたった。

 

少しテッペンが増えたような気もするが・・・・、

店主に確認してもらおう!!