私は、救済の道を歩いている。

  多くの人の救済のために、

悪行を積むことによって

  地獄に至っても本望である。

 

  朝原彰晃

    日本のテロリスト、宗教家、政治活動家。

    本名は松本 智津夫(まつもと ちづお)。

 

    オウム真理教の教祖となり、

    真理党の候補の1人として選挙活動も行った一方、

    数々の凶悪犯罪(オウム真理教事件)にも関与した。

 

    後に一連の事件の首謀者として逮捕され、

    他の幹部と共に死刑に処された。

 

    成人前

      1955年3月2日、麻原彰晃こと松本智津夫は、

      熊本県八代市高植本町の「松本畳店」を経営する

      畳職人の家庭の四男(男6人女3人の9人兄弟の第七子)

      として生まれた。

      先天性緑内障のため生来、左目がほとんど見えず、

      右目の視力は1.0程度だった。

      12歳年上の長兄は全盲、五男も弱視だった。

 

      麻原の父は現在の大韓民国全羅北道益山郡春浦面で生まれ、

      終戦後、共に朝鮮から引き上げ、

      叔父を頼り八代に住み、

      当時地場産業であった畳職人として働くようになった。

      しかし畳の需要は落ち、

      7人の子を抱え生活は逼迫していた。

      盲学校の教諭も見たことがないほどの非常に貧しい家だった。

      両親は働きづめで、智津夫は兄や姉を親代わりに幼少期を送った。

 

     盲学校

       1961年(昭和36年)4月、

      一旦は八代市立金剛小学校に入学するが、

      視覚障害者(隻眼)を理由に同年秋(6歳)より

      当時熊本市出水町今(現在の熊本市中央区水前寺)に所在した

      熊本県立盲学校に転校、寄宿舎に移住。

 

      当時オウム同様の閉鎖社会であった盲学校では、

      強い権力欲を見せ、

      目が見えるために他の子供たちを子分扱いにし、

      暴力で支配、全盲の子供を外へ連れ出すと

      食事をおごらせたり窃盗を命じたり、

      全盲の生徒相手に落とし穴を仕掛けたり、

      リンチをさせたり、自分の欲しいものを買わせたりし、

      「外へ連れて行ってやったのだから日当をよこせ」

      などと言ってお金を巻き上げていたという。

 

      金への執着が強く、

      同級生への恐喝によって卒業するまでに300万円を貯金していた。

 

      盲学校で演劇『みにくいアヒルの子』の

      主演をして演劇が好きになり、自作自演していた。

      『源氏物語』では女生徒を侍らせ、

      恋愛劇『ちぎれた愛』では

      「好きだ、好きだ、好きなんだー」と絶叫した。

 

      体格が良く、当時の教師によると

      高等部3年の時には身長175センチ体重80キロはあり、

      部活動は柔道に打ち込んだ。

      1975年(昭和50年)1月12日には、

      盲学校の生徒としては異例の柔道二段(講道館)を取得。

 

    結婚

      1978年(昭和53年)1月7日、

      代々木ゼミナールで知り合った石井知子(後の松本知子)と結婚し、

      千葉県船橋市湊町に新居を構え、

      そこに鍼灸院「松本鍼灸院」を開院。

      同年9月15日「松本鍼灸院」を廃し、

      同市本町 に診察室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開業。

 

      この頃、鍼灸師として

      「病気の人を完治させることができない、

       無駄なことをしているのではないか」と悩み、

      無常感を抱き、四柱推命や気学を研究し始める。

      だが運命を知っても運命を変えることは

      できないと考えて見切りをつけ、

      台湾鍼灸、漢方、断易、六壬を経て、

      奇門遁甲と仙道にたどり着き、神秘体験を経験する。

 

    オオム真理教

      1982年(昭和57年)、

      経営塾などをやっていた人物である西山祥雲に弟子入りし

      「彰晃」の名をもらい、「松本彰晃」を名乗る。

 

      1983年、東京都渋谷区桜丘に、

      仙道・ヨーガ・東洋医学などを統合した

      (超)能力開発の指導を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設、

      本名の松本智津夫から「アシュラ・シャカ」という

      意味が込められている麻原彰晃へと改名する。

 

      1984年(昭和59年)2月、

      学習塾「鳳凰慶林館」をヨガ道場「オウムの会」に変更し、

      5月28日には株式会社オウムを設立。

 

      1985年(昭和60年)、

      神奈川県の三浦海岸で修行中に

      「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」

      と啓示を受けたという。

      秋には空中浮揚したと称する写真が

      雑誌『ムー』『トワイライトゾーン』に掲載された。

      また、「幻の超古代金属ヒヒイロカネは実在した!?」

      という記事を『ムー』に掲載。

 

      1986年(昭和61年)4月、税制上の優遇に目をつけて、

      ヨガ道場「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」と改称。

      同年7月、ヒマラヤで最終解脱と称す。

      すでに

      「武力と超能力を使って国家を転覆することも計画している。

       その時は、フリーメイソンと戦うことになるだろう」

      などと語っていたという。

 

      1987年(昭和62年)7月(32歳)には、

      「オウム神仙の会」から「オウム真理教」へ改め、

      布教活動を展開。

 

      1989年(平成元年)、

      男性信者殺害事件、坂本堤弁護士一家殺害事件を指示。

 

      1990年(平成2年)2月の第39回衆議院議員総選挙では、

      真理党代表として東京4区(5人区)から出馬、

      オウムソングを歌うなど独特の選挙パフォーマンスで

      注目を集め「泡沫候補とか言っているが、今に見てろよ」

      と語っていたが、結果は1783票で落選。

 

    武装・非合法路線の本格化

      1993年(平成5年)には

      「すべての魂をポアするぞ」などと発言し

      再びヴァジラヤーナ・非合法路線を本格的に再始動、

      オウム真理教放送など一部を除いてメディアへの露出も減り、

      信者に兵器の開発や敵対者の暗殺を指示し多くの事件を起こす。

      

      信者の運転する炭疽菌噴霧トラックに乗り込み都内を巡り、

      フリーメイソン認定した建物めがけて

      炭疽菌をばらまいていたこともあった。

 

      1994年6月に松本サリン事件を起こしている。

 

      40歳を迎えた1995年の3月18日、

      村井秀夫、井上嘉浩らと

      強制捜査の延期方法をリムジン内で謀議、

      地下鉄にサリンを撒くという提案に賛同、

      20日に地下鉄サリン事件が起きる。

 

      5月16日に山梨県西八代郡上九一色村

      (現・南都留郡富士河口湖町)のオウム真理教の

      教団施設「第6サティアン」内で

      地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕された。

 

    死刑執行

      上川陽子法務大臣は2018年(平成30年)7月3日付で

      麻原・土谷正実・遠藤誠一(以上3人は東京拘置所在監)・

      井上嘉浩・新実智光(以上2名は大阪拘置所在監)・

      中川智正(広島拘置所)・早川紀代秀(福岡拘置所)の

      各死刑囚7人に対する死刑執行命令書へ署名した。

 

      この死刑執行命令を受けて同年7月6日、

      麻原は朝食を全部食べた後の7時40分ごろに、

      教誨室で死刑執行を告げられたが、

      遺体の引き取り先を聞かれた際に刑務官との問答で

      「ちょっとまって」「四女」「グフッ」

      と発声したとされている。63歳没。

 

前回に続きテロリストの名言?

恐ろしや!

 

しかし、彼の生涯を知ってみると、

こうなるのは必然だったような気も・・・・!

 

親の愛情が薄い青少年期の体験が

朝原彰晃を作ったと言えるのでは・・・・?

 

 

2024年3月4日

昨日は京都伏見の酒蔵巡りを楽しんだ。

K君が駅まで迎えに来てくれて、

一度は食べて欲しいと言われたのがこれ!

    東洋亭のハンバーグステーキ!

昼前だったので大勢の人が並んでいた。

 

さいか亭で昼食を済ませて、

S君が事前に資料を取り寄せていた、

伏見酒造組合(19種類のきき酒ができる)を

訪ねるも閉っていた(3月2日は盛況だったようだ)。

 

3日に行くと話した時に

その日は休みだと言ってくれなかったのかと・・・!

S君は今日文句の電話を掛けると言っていたが、

まぁ、色々ありますわ・・・怒らない怒らない!

 

結局、最初に訪れたのは

「キザクラカッパカントリー 黄桜酒場」!

300円で一番辛いのを試飲したが……甘口だった。

 

次に目指すは本命の「月桂冠大倉記念館」!

入場料600円で3種類の「きき酒体験」

ができるらしいがこれでは物いたりない。

 

まずは「伏・見・夢・百・衆」へ

1500円で17種類30分飲み放題だった。

さて、何杯なんだか・・・・多分元は取ったと思う。

しかし目当ての辛口は見当たらず。

 

最後の「吟醸酒房 油長」へ!

1350円払って私の3杯とS君の3杯、K君の3杯もきき酒した。

結局ここで4本

  玉乃光・・・中口

  神聖・・・・超辛口

  都鶴・・・・極辛

  花洛・・・・辛口原酒

N君がお土産にと1本(都鶴)をくれたので

目標だった5本をゲットした。謝謝!

なお、K君はお酒は全く飲めない。

(甘酒2杯飲んだようだ)

 

午前中は集会場で卓球の練習。

 

午後はカラオケ教室。

 

今日から2泊三日で、

大阪の弟(K)夫婦と長野の弟(F)夫婦4人で、

四国別格20霊場参拝(長野の弟の車で)に行く。

 

昨年Kの古稀祝いに贈った別格20霊場の数珠に感動したKが、

妻とF夫婦の古稀祝い(来年)の贈り物にしたいようだ!

 

もともとはFが提案したのだが、

間に合わずとりあえず私が作ったのを使ったので、

Fが私の分を作ってくれる。

 

6日の夜は我が家でパーティー(カラオケ、トランプゲーム)

をする予定である。