専門家とは、

いつも同じ間違いを

繰り返す人たちのことである。

 

  ヴァルター・グロピウス

    モダニズムを代表するドイツの建築家。

    近代建築の四大巨匠

    (ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、

     ミース・ファン・デル・ローエと共に)

    の一人とされる。

 

    世界的に知られた教育機関(学校)である

    「バウハウス」の創立者であり、

    1919年から1928年まで初代校長を務めた。

 

    1903年-1907年にミュンヘンやベルリンの

    工科大学で建築を学んだ。

    卒業後、ペーター・ベーレンスの事務所に入り

    (1908年-1910年)ミース・ファン・デル・ローエと出会い、

    ミュンヘンのドイツ工作連盟(DWB) にも参加した。

 

    1911年の『ファグスの靴型工場』は、

    後のバウハウス校舎を思わせる

    鉄とガラスを用いた初期モダニズム建築であった。

 

    1919年国立バウハウス開校、初代校長となった。

    当初は総合芸術としての建築教育を目指すものであったが、

    美術家カンディンスキーらの前衛的造形教育の場となった。

    『ヴァイマル・バウハウス校長室のインテリア』(1923年)は、

    モダンデザインによって統一された空間であり、

    記念碑的作品とされる。

 

    1925年、バウハウスはデッサウに移行、

    デッサウ市立バウハウスとなった。

    『デッサウの校舎』(1926年)は

    グロピウスの設計によるもので、

    著書『国際建築』(1925年、バウハウス叢書第1巻)とともに

    モダニズム建築の代表作として世界中に知られるようになった。

 

    また、デッサウ市の依頼で、

    郊外に集合住宅(ジードルング)を建設した(1926年 - 1928年)。

    グロピウスはハンネス・マイヤーを後任に指名し、

    1928年に校長を退いた。

    

    バウハウス閉鎖後,

    1932年事務所にいた山口文象と共にドイツを脱出、

    自身は1934年イギリスに亡命する。

    

    1937年、ハーバード大学に招かれ、アメリカに赴いた。

    

    共同設計事務所TAC(The Architects Collaborative)を設立。

    超高層ビルのパンナムビル

    (1958年、現メットライフビル。

     ピエトロ・ベルスキらと共同設計)

    などを設計した。

 

     第二次大戦後の母国ドイツにおいても、

    設計を行う機会を得ている。

    まず1952年にはベルリンの

    ハンザ地区で行われた国際建築展に参加し、

    高層住宅を実現させている。

 

    さらに、1960年代に、ベルリン南部のノイケルン地区に、

    グロピウス・シュタット(de)と呼ばれる、

    集合住宅が建ち並ぶ広さ266haと

    大規模な郊外住宅地を設計している。

 

    1969年7月5日、

    マサチューセッツ州ケンブリッジにて86歳で死去。

 

「専門家とは、同じ間違いを繰り返す人たちのこと」

この言葉をどう理解したらいいのだろうか?

  広辞苑【専門家】

    「ある学問分野や事柄などを

     専門に研究・担当し、

     それに精通している人。

  とある。

教育者でもあった彼は、

「間違いを繰り返してこそ専門家になれる」

だと言いたかったのかも知れない。

 

2024年2月23日

昨日の午後は集会場でカラオケがあるのを忘れていた。

(ゴルフの練習は中止)

 

  ♬北ホテル・・・・・・・・81

   ブランディーグラス・・・82

   夢芝居・・・・・・・・・92

   ガキの頃のように・・・・75

  ♬

 

自己採点では♩ガキの頃のように♩が

一番良かったと思っているのだが・・・・?

 

また♩夢芝居♩の高得点に参加者から

「みっちゃんはカラオケ一番と仲がいいからなぁ・・」

と疑惑の声も・・・!

 

まぁ、所詮安価な機械による採点なのだから、

点数など気にせず皆で楽しもう!!

 

午前中はゴルフの練習に!