事実以外は何も信じてはならない。

 事実は自然が提示するもので、

    欺くことがない。

 

  アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ

    フランス王国のパリ出身の化学者である。

    質量保存の法則の発見、酸素の命名、

    フロギストン説の打破などの功績から

    「近代化学の父」と称される。

    裕福な出自から貴族となったが、

    当時のフランス革命の動乱に翻弄され落命した。

 

    質量保存の法則

      1774年に物質の体積と重量を精密に測る定量実験を行い、

      化学反応の前後では、

      反応系の物質全体の質量が変化しないことを発見した。

      すなわち、今日においても化学の重要な基本法則とされる

      質量保存の法則をラヴォアジエは発見し、

      これを初めて著した。

 

    燃焼の理解(フロギストン説の打破)

      当時は、

      医師で化学者のゲオルク・シュタール(ドイツ)の

      提唱したフロギストン説が支持されていた。

      すなわち、燃焼は一種の分解現象であり、

      可燃物からフロギストンが飛び出す現象であるとされていた。

      1774年にラヴォアジエは実験によってこの説を退け、

      燃焼を「酸素との結合」であることを見出し、

      1779年には酸素を「オキシジェーヌ 」と命名した。

 

    ラヴォアジエの元素表

      ラヴォアジエは著書『化学原論』で、

      次の33項目を「単一物質」として挙げている。

      33項目のうち25個は現代の化学においても

      元素として扱われている。

 

    フランス革命勃発

      『化学原論』出版のこの年、

      すなわち1789年の7月14日にはバスティーユ襲撃が勃発し、

      フランス革命が始まっていた。

      当時のラヴォアジエはパリで貴族階級の

      補足代議員を務めていた。

 

      ラヴォアジエは徴税請負人であった。

      革命がすすむなか、

      1791年に徴税請負制度は廃止されたが、

      フランス国王ルイ16世に

      財政面の手腕を見込まれたラヴォアジエは、

      国家財政委員に任命された。

      この職務にあたってラヴォアジエは、

      フランスの金融および徴税制度を

      改革しようとしたとされる。

 

      1793年11月24日には、

      革命政府は徴税請負人の全員を逮捕すべく、

      元・徴税請負人らを指名手配した。

      ラヴォアジエは酷い徴税はしておらず、

      むしろ税の負担を減らそうと努力していたとされるが、

      この指名手配に対して、ラヴォアジエは自ら出頭した。

      しかし、徴税請負人の娘(マリー=アンヌ)と

      結婚していたこと等を理由に投獄された。

 

      やがてラヴォアジエは革命裁判所における審判にかけられた。

 

      ラヴォアジエの弁護人はラヴォアジエの

      科学上の実績を持ち出して弁論を行ったが、

      裁判長のジャン=バティスト・コフィナルは

      「共和国に科学者は不要である」として退けたとされる。

      こうして1794年5月8日には、

      「フランス人民に対する陰謀」との罪で

      ラヴォアジエに死刑の判決が下った。

      刑はその日のうちにコンコルド広場にあるギロチンで執り行われ、

      ラヴォアジエは50年の生涯を閉じた。

 

名言にあるように、

実験による実証主義を提唱した!!

 

2024年2月7日

午前中、妻はお掃除タイム。

その間私には生垣のカイズカ剪定をするようにと・・・、

やっぱりなぁ・・・・・!

この一週間は天気が良さそうなので、

三日間掛けて剪定することになるだろう!ヤレヤレ!

 

午後は散歩をするらしい!

こちらも想定通りである。

 

17日に帰国するまで毎食、日本食を食べたいと・・・、

昨夜のおでんは高評価だった。

晩酌は日本酒4合と山崎をロックで・・・妻も強くなってる。

 

なお、10日から2泊3日で

箱根・鎌倉・伊豆旅行に行くので料理から解放される。