客観的な事実など存在しない。

あるのは自分の目を通して見た

    事実だけである。

 

  ヴェルナー・カール・ハイゼンベルク

    ドイツの理論物理学者。

    行列力学と不確定性原理によって

    量子力学に絶大な貢献をした。

        

    ドイツ帝国南部バイエルン王国(現在のバイエルン州)

    ヴュルツブルクに生まれる。

 

    ミュンヘン大学のアルノルト・ゾンマーフェルトに学び、

    マックス・ボルンの下で助手を務めた後、

    1924年にコペンハーゲンのニールス・ボーアの下に留学。

 

    ボルンとパスカル・ヨルダンの協力を得ながら、

    1925年に行列力学(マトリックス力学)を、

    1927年に不確定性原理を導いて、

    量子力学の確立に大きく寄与した。

 

    1932年に31歳の若さでノーベル物理学賞を受賞。

 

    母国ドイツではナチスの台頭で、

    同僚の多くがナチス体制下のドイツを去ったが、

    ハイゼンベルクは、プランクからの

     「今は生き残るために妥協を強いられるにしても、

      破局の後の新しい時代のドイツのために残るべきだ」

    という助言もあり、ドイツに残ることにし、

    場の量子論や原子核の理論の研究を進めた。

 

    ナチス政権下では、

    相対性理論及びユダヤ人物理学者を擁護する立場を取ったため、

    シュタルク、レーナルトらナチス党員の物理学者から、

    「白いユダヤ人」と呼ばれて強い攻撃に晒された。

 

    ナチス政府から召集され、

    第二次世界大戦中は原爆開発(通称「ウランクラブ」)に関わった。

 

    戦後は、1946年から1970年まで

    マックス・プランク物理学研究所の所長を務めた。

    

    不確定性原理

      粒子の位置と運動量、時間とエネルギーといった

      物理量の関係は同時に正確に測定できない。

 

      この際「光子のもつエネルギーと振動数の比例関係」

      表した「プランク定数」を用いて、

      さらに自身が先立って考案していた

      マトリクス理論

      (量子の運動や位置など物理用を行列によって

       表現する手法)を導入することで、

       超ミクロの不確定な動きや量を計算する方法を提唱した。

 

      これによって量子力学の理論を

      実験結果として表わすことが可能となり、

      その後の量子力学発展の基盤となった。

 

    原爆開発

      1941年、ハイゼンベルクはデンマークのボーアを訪ね、

      「理論上開発は可能だが、

       技術的にも財政的にも困難であり、

       原爆はこの戦争には間に合わない」と伝え、

      あるメモを手渡した。

 

      ボーアはそのメモをアメリカのハンス・ベーテに渡した。

      ベーテによると、それは原子炉の絵だった。

 

      ハイゼンベルクのシンクロトロンが、

      火災を起こし、懸命な消火活動によっても、

      1ヶ月間鎮火することはなかったため、

      世界中にニュースとして配信されたところ、

      その新聞記事を読んだアルバート・アインシュタインは、

      「ハイゼンベルクがとうとう、

       原子炉の開発に成功したので、

       原爆を作るのは時間の問題だ」と考えた。

 

      ボーアからベーテの手に渡ったハイゼンベルクのメモには

      重水炉のシェーマが記されており、

      これを見せられていたアインシュタインは、

      妄想にしか過ぎなかった原子爆弾開発競争を覚悟した。

 

      ハイゼンベルクは、

      ナチス高官による、電力不足の解決方法を

      重水炉でするという方法を打ち明けたが、

      自らは重水炉の開発をサボタージュした。

      

      それを知らなかったアメリカは、

      スパイを使っては、学会会場や、パーティー会場で

      何度もハイゼンベルクの暗殺を謀ったが、

      全て失敗に終わった。

 

      終戦後は他の開発者と共に

      イギリス情報局秘密情報部の手で

      イギリスのファーム・ホールに軟禁され、

      広島・長崎の原爆投下のニュースもそこで聞いた。

 

      それを聞いたハイゼンベルクは、

      そんなことは不可能だと驚いたという。

 

量子の世界においては観測するという行為自体が

結果を左右するということを示したのが上記の名言である。

 

2024年1月19日

昨日の医大での網膜剥離手術後1ヶ月の検診結果は、

左目・右目(6年前)ともに網膜がしっかり張り付いていて、

左目の視力も1.0と良好だった。

 

3ヶ月の検診(3月14日に変更)が医大の最後になる。

また目薬の処方はM眼科でするように言われた。

 

午前中はM眼科に行ってからゴルフの練習に!