いまだ軍備と徴兵が国民のために

  一粒の米、一片の金をだに

    産するを見ざるなり。

 

  幸徳秋水

    日本のジャーナリスト、思想家、共産主義者、

    社会主義者、無政府主義者(アナキスト)。

 

    中江兆民の門弟として

      1871年(明治4年)11月5日に高知県幡多郡中村町

      (現:高知県四万十市中村京町)で生まれる。

      実家は酒造業と薬種業を営む町の有力者で、

      元々は「幸徳井(かでい)」という姓で陰陽師の家だった。

 

      9歳で儒学者・木戸明の「修明舎」へ入り、四書五経を学ぶ。

      11歳で旧制中村中学校へ進学するも台風の影響で校舎が全壊し、

      再建されないまま退学を余儀なくされた。

 

      1887年(明治20年)に上京し、

      1888年(明治21年)11月から同郷の

      中江兆民の自宅に学僕として住み込み、中江の門弟となる。

      この時に中江から「秋水」の号を授かる。

      秋水は新聞記者を目指して

      板垣退助が社長を務める「自由新聞」で勤務し、

      小泉策太郎と親友になる。

 

    ゴシップ紙の記者として

      1892年(明治25年)に黒岩涙香が創刊した

      「萬朝報」の記者となる。

      萬朝報は日本におけるゴシップ報道の先駆けとして知られ、

      ひたすら権力者のスキャンダルを追及し、

      蓄妾実例といった人間のプライバシーを暴露する

      醜聞記事で売り出した新聞である。

 

      1900年(明治33年)8月30日に

      旧・自由党系の政党である憲政党が

      以前からの政敵である藩閥の伊藤博文と共に

      「立憲政友会」を結成したことを嘆き、

      萬朝報の同日付けの記事に

      「嗚呼、自由党死すや」との一文で有名な

      「自由党を祭る文」と題した批判論文を掲載した。

 

      また、同年6月から発生した

      義和団の乱(北清事変)制圧の際に日本軍が

      清国の馬蹄銀を横領した容疑を萬朝報で追及し、

      陸軍中将・真鍋斌を休職に追い込んだ(馬蹄銀事件)。

 

      1901年(明治34年)5月20日に結成された

      社会民主党に創立者として参画した。

      しかし活動が即日禁止され、

      6月3日に組織変更として社会平民党への結社を届けるも、

      再び即日禁止される。

 

      同年には「廿世紀之怪物帝国主義」を

      刊行して帝国主義を批判する。

 

    無政府主義へ

      日露戦争が1904年(明治37年)に勃発するが、

      その前年には戦争に反対する論調の新聞も存在する中で

      世論の空気はロシア帝国との開戦へと押されていった。

      秋水が記者を務める萬朝報も社論を非戦論から

      開戦論へ転換させたため、

      10月12日に堺利彦・内村鑑三・石川三四郎と共に

      発行元の萬朝報社を退職する。

 

      同年11月15日には堺と共に

      非戦論を訴え続けるために「平民社」を開業し、

      週刊「平民新聞」を

      1905年(明治38年)1月29日まで発行した。

 

      1904年(明治37年)には与露国社会党書を発表し、

      堺と共に「共産党宣言」を翻訳して発表するが即日発禁される。

 

      そして1905年(明治38年)に新聞紙条例でついに投獄される。

 

      獄中でピョートル・クロポトキンを知り、

      秋水はこの頃から無政府主義(アナキスト)へ傾倒していく。

 

    大逆事件~刑死

      1910年(明治43年)6月1日、

      秋水は神奈川県湯河原の「天野屋」へ来ていた。

      親友の小泉に勧められての訪問で、

      内縁の妻となったスガの湯治を兼ねての宿泊中だった。

      そこへ警察が現れ、幸徳事件(大逆事件)

      によって両者は逮捕された。

 

       (実際に明治天皇の暗殺が計画された明科事件を発端に、

        全国の社会主義者や無政府主義者を逮捕・起訴して

        死刑や有期刑判決を下した政治的弾圧・冤罪事件である。)

 

      1911年1月24日、宮下太吉・新村忠雄ら他の

      死刑囚11名と共に処刑された。39歳没。

 

上記の言葉は著書「帝国主義論」の冒頭の一節である。

  帝国主義(またはインペリアリズム

    一つの国家または民族が

    自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、

    政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し、

    強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策。

 

敗戦後日本は民主主義国家になった。

幸徳秋水が生きていたら、

日本や世界の現状をどう思うのだろうか?

 

プーチン・習近平が二人協力してやろうとしていることは、

帝国主義そのものではないのか・・・・・?

 

2023年6月30日

朝6時から氷上八幡神社の境内の清掃があった。

 

午前中はホンダ販売店に行くことになっている。

BEZEL(e:HEV 幅179cm)を予定している!!

  我が家の進入路

橋の幅205cm、手摺りはそれぞれ15cm外側にある。

(つまり車体幅は最大235cmまで通れる計算だ)

 

以前は手摺りが今のより10cmぐらい内側で橋桁の上にあったので、

実際は210cmぐらいだった!

(それでも幅174cmのCR-Zは十分通れるはずだが・・・、

 3回ほど擦って数十万の修理代を払っている。

 なお、手摺りを外側に出してからは一度も擦っていない)

 

新車になったら進入角度90度でゆっくりと、

それと車両保険にもはいらないとなぁ・・・・!!

 

午後はゴルフの練習。