笋の皮の流るる薄暑かな

  鑑賞: 笋(たかんな)は筍(たけのこ)。
 
      「たかんな」なんて漢字が
      ワープロに仕込まれているはずはないと思いつつ、
      試しに打ってみたら一発で出てきた。
      びっくりした。
 
      俳人以外の誰が、
      いまどき「たかんな」の漢字を必要とするのだろう。
      よほどの「筍」好きが作ったワープロ辞書なのだろうか。
      どうもワープロ・ソフト製作者の
      意図には不分明なところがある。
 
      ……と書いて、アップして約9時間後、
      読んでくださった坂入啓子さんから
      「たかんな」の漢字が間違っているのではとの指摘があった。
 
      あわててよくよく見たら、たしかに大間違い。
      一発で出てきたのは、「笋」ならぬ「箏」という字だった。
      辞書の間違いであると同時に、
      気がつかなかった私の失策でした。
      ごめんなさい。
 
      ちなみに使用辞書はEDWORD6.0版。
      というわけで、以下が昨日と同じ本文となります。
 
      ……句意は簡単明瞭。
      笋の皮が小川を流れていく様子が、
      ちょうど少し汗ばむような陽気にマッチしたというのである。
 
      筍は成長につれて皮を脱ぐが、
      それが流れてきたというのではなく、
      誰かが上流で食べるために剥がした
      皮が流れてきたと解すべきだろう。
 
      夏めいてきた気分が、
      見えない上流の人の食事の用意によって、
      鮮やかにとらえられている。
 
      昔の川は、文字通りの生活用水でもあったので、
      このような情感も流れてきたというわけだ。
 
      川を意識するということは、
      単に眼前のそれを意識することではなかった。
      見えない上流も下流も、
      自然に同時に意識したということで、
      この句は、読者にもそのような昔の生活者の目がないと、
      理解はできない。
 
      現代の川は、この意味では、
      もはや川ではありえないと言うこともできそうだ。
        『我鬼全句』所収。
          (清水哲男)
 
私も「たかんな」を変化したら「多感な」になってしまった。

あきらめず「たかんな」を入力すると

変換候補の中に「笋町」が出てきた。
 
  孟宗山(もうそうやま)は祇園祭の先祭の舁山の一つ。
  京都市中京区四条烏丸上ル笋町に位置する。
  孟宗山は別名「筍山(たけのこやま)」で「二十四孝」の一つ、
  孟宗が老いた母の為にタケノコを掘る話を取材している。
   『二十四孝』(にじゅうしこう)
     中国において後世の範として、  
     孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物である。
 
二十四孝の話のように、
孝行息子がタケノコを掘ってきたのかも・・・、
「筍」より「笋」の方が趣がある。
 
2023年5月9日
午前中はヨーガ教室。
 
連休疲れがでたのか、腰に少し違和感がある。
ヨーガで治るかなぁ・・・・?
 
午後は腰の様子を見て、
ゴルフの練習か、いつもの接骨院か?