今までに四国88カ所霊場は3回バスツワーで巡拝している。

 

  空海(弘法大師)は四国に、

  四国八十八箇所霊場のほかにも数多くの足跡を残しており、

  それらは番外霊場(後述)として人々の信仰を集めてきた。

  それらの番外霊場のうち20の寺院が集まって、

  1968年(昭和43年)に霊場として

  創設されたものが四国別格二十霊場

  (しこくべっかくにじゅうれいじょう)である。

   四国八十八箇所霊場に四国別格二十霊場を加えると百八となり、

  人間の百八煩悩と同じになることから「煩悩を滅するのもよし」と

  両霊場を合わせて参拝することを薦めている。

 

  当霊場は、納め札の色は巡拝回数で変わるのではなくて、

  一般は白、先達は黄、権中先達は緑、中先達は赤、

  権大先達は銀、大先達は金、特任先達は錦となっている。

 

   また、寺院名入り念珠玉

  (男性用と女性用と紫檀木の3種類あり、

   いずれの親玉も霊場会々長の寺で販売)を

  各寺院で1個ずつ集めて21個揃ったら

  片手念珠を作れるというのがある。

 

今年は片手念珠を作る目的で、

四国別格二十霊場バスツワー(全5回)に参加することにした。

 

 1番:大山寺 (徳島県上板町)    

    寺伝によれば6世紀前後、

    武烈天皇・継体天皇の時代に西範僧都(せいはんぞうず)が

    開基した阿波国最初の仏法道場であると伝えられている。

 

    平安時代前期、空海(弘法大師)が阿波入国した際に当地に立ち寄り、

    西方笹原にあった当寺を現在地に移転し、

    山号を仏王山、印度の須弥山にちなみ寺名を大山寺とし、

    伽藍の整備を行い、恵果より授かった

    千手観音像を本尊として安置したと言われている。

 

    戦国時代、近隣にあった七条城の城主・七条兼仲は

    当山に祈願し怪力を得たとされる。

    そのお礼として九重の石塔と鏡餅を当山に背負い上げたと言われている。

    この伝説に因み、江戸時代になると

    徳島藩主蜂須賀家は家臣に大鏡餅を担がせ力自慢を競わせた。

    なお、現在でも毎年1月第3日曜日に「力餅」と呼ばれる、

    大鏡餅(86キログラム)を載せた三方(合計169キログラム)を

    抱えて歩く距離を競う行事が行われている。

 

  2番:童学寺(徳島県石井町)

    『阿波志』等に伝える寺伝によれば、

    飛鳥時代、行基が創建したという。

    奈良時代末から平安時代にかけ

    空海が7歳から15歳まで当寺で書道や密教などを学び、

    『いろは四十八文字』を創作したと伝わる。

    その由緒から寺号を童学寺と称するようになったとされる。

 

    (815年)、空海が42歳のときに再び当寺を訪れて伽藍を整備し、

    自らが彫刻した薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩、

    持国天、毘沙門天、歓喜天を安置したという。

 

  3番:慈眼寺 (徳島県上勝町)

    寺伝によれば平安時代初期の延暦年間(782年 - 805年)

    四国を巡錫中の空海(弘法大師)が、

    邪気の漂う不思議な鍾乳洞を発見した。

    洞窟の入口で数日間、加持祈祷を行ったところ

    悪龍が洞窟より出て空海を襲った。

    空海は法力で悪龍を洞窟の壁に封じ込めた。

    また、十一面観音を刻んで洞窟の前に堂宇を建立し安置した。

    これが慈眼寺の開創と伝えられている。

   

     ●本堂:大師堂と護摩堂のある本坊より

         山道を徒歩で約20分登った場所にある。

         (線香に火をつけお堂の周りを3週し祈願する習わしがある。)

 

     ●穴禅定:本堂の更に上部にある鍾乳洞。

          修行用の白衣と藁草履(有料)を借り、

          寺の案内人(先達)の指示によりロウソク1本で入洞する。

          洞窟の距離は100m程と短いが拝観におおむね2時間を要し、

          試しの2本の支柱の間28cmを通過できない

          体格の大きい人と閉所恐怖症の人は入洞できない。

          入洞期間は3月1日より11月30日まで

          (ただし、8月13日から15日と悪天候時は入洞できない)。

 

   「*穴禅定には入りません」とあったのでホッとしている。

    とても28cmの間を通り抜けることは無理無理!!

 

 

私は通り抜け出来なかった。

(腹ではなく胸が邪魔になった)

 

  4番:八坂寺 (徳島県海陽町)通称は鯖大師本坊または鯖大師

    鯖大師と呼ばれる由縁は、

    この地を訪れた空海(弘法大師)の伝説による。

    伝説に拠れば、

    平安時代初期の弘仁年間(810年 - 823年)に

    空海が八坂八浜を訪れた際に、

    行基手植えの松の下で野宿し行基の夢を見た。

    そこを塩鯖を馬に背負わせた馬子が通りかかった。

    空海が塩鯖を所望したところ、馬子は口汚くののしり断った。

    坂にさしかかったところで馬が急に苦しみ動かなくなった。

    慌てた馬子は先ほどの僧は巡錫中の空海に違いないと思い、

    空海に鯖を差し出し馬を治して欲しいと懇願した。

    空海が加持水を馬に与えたところ、馬はたちまち元気になった。

    

    また、空海が法生島(ほけじま)で先ほどの塩鯖に加持祈祷を行い、

    海に放ったところ塩鯖は生き返り泳いで行った。

    これに感服した馬子は空海の弟子となり、

    この地に小堂を建て行基の像を祀り「行基庵」と名付けた。

 

    行基伝説

      行基が四国を巡錫している時にこの地を訪れた際、

      鯖を馬に背負わせた馬追が通りかかった。

      行基が鯖を所望したところ、馬追はこれを断った。

      行基はこれに対し

      「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 行基にくれで馬の腹や(病)む

      と歌を詠んだ。

      すると、馬は急に腹痛で動かなくなった。

      困った馬追は行基に鯖を差し出した。

      行基は今度は

      「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 行基にくれて馬の腹や(止)む

      と、「くれで」を「くれて」と1文字変えて詠むだけで、

      馬の苦しみは治まった。

 

2023年3月6日

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。

  「啓」は「開く」、

  「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意味で、

  「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」

   (広辞苑)という意を示す。

  春の季語でもある。

 

  大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。

  『暦便覧』には

    「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」

  と記されている。

  柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。

 

6時30分が集合時間である。