冬木と石と冬木と石とありにけり

  鑑賞: 季語は「冬木(ふゆき)」。
 
      常緑樹も言うが、
      葉の落ちた木のほうが「冬木」の感じが色濃い。
 
      「寒木」と言うと、さらに語感が強まる。
      寂しい句だ。そして、良い句だ。
 
      「冬木と石と」、また重ねての「冬木と石と」。
      芸としてのリフレインというよりも、
      素朴でとつとつとした吃音のように聞こえてくる。
 
      すっかり葉が落ちた高い木と、
      地に凍てついた低い石と。
      しばらく歩を進めても、
      それだけしか無い世界。
      いや、他にいろいろとあっても、
      それだけしか目に入らない世界だ。
 
      しかも、おそらくは色も無く、
      さらには無音の世界なのである。
      この寂しい風景は、
      実景であると同時に作者の心象風景でもあるだろう。
 
      かつて稲垣足穂が言ったように、
      人間の関心は若年時には動物に向かい、
      年輪を重ねるに連れて植物へ、
      さらには鉱物へと移っていくようだ。
 
      だとすれば、
      この句には老境に差しかかった者の
      素直な視野が反映されている。
      寂しき充実。
 
      繰り返し読むうちに、
      そんな言葉がひとりでに湧いてきて、
      胸に沁み入るようである。
 
      今宵は眠りに落ちる前に、
      この句を反芻してみよう。
      深い孤独感が、
      永遠の眠りの何たるかを
      秘かに告げてくれるかもしれない。
       『雲の賦』(2005)所収。
        (清水哲男)
 
「冬木と石」が重なる深い孤独感は、
ちょっと寂しすぎるけど、良い句だと思う。
 
来月25日に1年ぶりに妻が大連から帰国する。
冬木立の公淵公園を散歩しよう!!
それも又楽しからずやである。
 
2022年12月17日
昨日68枚の年賀状印刷が終わった。
 
午前中は年賀状の仕上げに、
何か一言づつ書き足すつもりだ!
 
今夜は家で長野の弟夫婦と高松の妹夫婦で
カラオケ忘年会を予定している。
幸い喉の痛み無くなっているので、
大いに盛り上がるぜい!!