僕にはもう時間がない。

 

  エヴァリスト・ガロア

    フランスの数学者および革命家である。

 

    数学者として10代のうちにガロア理論の構成要素である

    体論や群論の先見的な研究を行った。

 

    ガロアはガロア理論を用い、

    ニールス・アーベルによる

    「五次以上の方程式には一般的な代数的解の公式がない」

    という定理(アーベル-ルフィニの定理)の

    証明を大幅に簡略化し、

    また、より一般にどんな場合に与えられた

    方程式が代数的な解の表示を持つかについての

    特徴付けを与えた。

 

    また、数学史上初めてカテゴリー論的操作によって

    自らの理論の基礎を構築している。

    

    群論の基礎概念とも言える集合論が

    ゲオルク・カントールによって提唱され、

    ガロア理論へと通じる数学領域が構築されるのでさえ、

    ガロアによるガロア理論構築の50年も後のことである。

 

    このように代数学で重要な役割を果たすガロア理論は、

    現代数学の扉を開くとともに、

    20世紀、21世紀科学のあらゆる分野に

    絶大な影響を与えている。 

 

    投獄と死

      1831年7月14日、

      ガロアは法学の学生で同じ「民衆の友の会」会員の

      ヴァンサン・デュシャートレと共に、

      国民軍の制服と以前王の命を脅かしたナ

      イフを着用してパリ市内を行進し、

      ポン・ヌフ橋上で逮捕された。

 

      12月3日に有罪が確定し、

      デュシャートレは禁固3ヵ月、

      ガロアは禁固6ヵ月の刑を宣告された。

 

      投獄されたサント・ペラジー刑務所において、

      かつてポアソンに送った論文が

      「説明不十分で理解できないから、

       もっとわかりやすく書き直して欲しい」

      というポアソンの返事と共にガロアに返却された。

 

      加えて、刑務所内でガロアは他の囚人からいじめられ、

      飲酒を強要されることもあったことが、

      同時期に獄中にいた薬学者の

      フランソア・ヴァンサン・ラスパイユの

      獄中記に記されている。

 

      この年の暮れよりパリ市内でコレラが流行し、

      ガロアは刑期を1ヵ月残して1832年3月16日、

      監獄から数百メートル離れた

      フォートリエ療養所へ仮出所した。

 

      その後、そこで失恋を経験したようで、

      5月25日には今後の予定を記しつつ、

      絶望に打ちひしがれた心境を綴った手紙を

      シュヴァリエに送っている。

 

      そして5月29日、

      「すべての共和主義者」及びイニシャルのみ記した

      2人の友人への2通の手紙に

      「つまらない色女に引っかかって決闘を申し込まれた」

      という旨を記している。 

 

      同時に、ポアソンから返却された論文の添削や

      シュヴァリエへの数学的な発想を断片的に書いた手紙を、

      「僕にはもう時間がない」

      と走り書きしつつ大急ぎでしたため、

      ドイツの数学者であるカール・フリードリヒ・ガウスや

      カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビに

      意見を求めるよう依頼している。

 

      そして30日早朝、

      パリ近郊ジャンティーユ地区グラシエールの

      沼の付近で決闘は行われた。

 

      その結果ガロアは負傷し、

      その場で放置され、

      午前9時になって近くの農夫によって

      コシャン病院に運ばれた。

 

      ガロアが牧師の立会いを拒否した後

      しばらくして弟アルフレッドが病院に駆けつけた。

      弟の涙ぐむ姿をみて、ガロアはこう言ったという。

     Ne pleure pas,
      j'ai besoin de tout mon 
     courage pour mourir à vingt ans!
     泣かないでくれ。
     二十歳で死ぬのには、
              ありったけの勇気が要るのだから!

       それが最後の言葉となり、

       夕方には腹膜炎を起こし、

       31日午前10時に息を引き取った。

 

       彼の葬儀は6月2日にモンパルナスの共同墓地で行われ、

       2000~3000人の共和主義者が集まり、

       「民衆の友の会」の2人の会員が弔辞を読み上げた。

 

  決闘

    名誉の獲得・回復、紛争の解決、恨みを晴らす

    などの目的で当事者双方が同意して、

    あらかじめ了解し合った

    ルールに基づいて行う闘争のことをいう。

 

    501年にブルゴーニュ王グンドバートが

    制度化したのをきっかけに

    「判決のための決闘」(決闘裁判)がヨーロッパ各地に広がり、

    中世ヨーロッパでは長きにわたり裁判としての決闘が行われた。

    こうした裁判が行われたのは

    「神は正しい者に味方する」「決闘の結果は神の審判」

    というキリスト教の信仰が背景にあった。

 

    16世紀以降には個人間での名誉回復の手段として

    私闘の「名誉のための決闘」が増えていく。

    名誉のための決闘は特に上流階級の間で盛んに行われた。

 

    決闘のための武器は

    中世期から18世紀末に至るまで長らく剣が使用されたが、

    18世紀中頃からピストルが使用されるようになっていった。

    19世紀に入った頃にはピストルが決闘武器として最も主流となった

 

決闘の相手は銃の名手で、

ガロアは自分が敗れて死ぬことを予感していたのだろう!

それにしても男は女に弱い生き物である。

 

まぁ、そんな一途さがあったからこそ、

数学者として成功したのかも知れないが・・・・!

 

2022年12月10日

6時25分:準決勝アルゼンチン 2 ー 2 オランダ 戦の

延長の前半が終わったところである。

 

その前に行われたクロアチア 1ー1 ブラジル で、

PK戦のすえ4-2でクロアチアが勝っていた。

クロアチアがブラジルに勝った。

 

日本は本当に強かったのだ。

このまま前回大会準優勝のクロアチアに

優勝してもらいたいものだ!

 

午前中は散歩は、

明日小川下池の堤防の草焼きがあるので、

草刈後(11月実施)の乾燥具合を見るつもりである。