外於一切善悪境界心、

  念不起名為坐、
内見自性不動名為禅

 

  意味: 外界にどんなことが起こっても

       心を動かさないことを「坐」といい、

       内に向かっては自分とは何かということに

       心を集中することを「禅」という。

       

       とにかく坐禅はいちど自分で坐ってみる

       ことから始まるのである。

       

         はじめに「身体を調える」。

           靴下を脱いで裸足になり、

           まず胡座を組むように坐り、

           静かに右の脚を左の股の上に

           付け根まで引きつけよう。

           さらに左の脚を右の脚の上に載せて

           右の股の付け根まで引きつける。

           これを「結跏趺坐」という。

           できない人は片方だけでもよい。

           これも「半跏趺坐」という正式な坐り方である。


        次に「呼吸を調える」。

           なるべく下腹に届くような長い息を、

           ゆっくり静かに吐き、

           また深く長い息を、静かに吸い込む。

           吐いて吸い込むまでを「ひとーつ」と数える。

           十まで数えたら、また「ひとーつ」に戻る。

           これを繰り返すのが「数息観」という

           初心者向きの調息法である。


        そのうちに心が落ち着いてくるはずであろう。

        これを「心を調える」という。

 

        これが坐禅の三原則(調身・調息・調心)。

 

  由来: 『六祖壇経』

        外、一切善悪の境界において

        心念起こらざるを名づけて坐と為し、

        内、自性を見て不動なるを名づけて禅と為す。

 

        坐禅の「坐」は当用漢字にないが、

        やはりどうしても「坐禅」と書かなければなるまい。

        なぜならば「座」は銀座とか座敷とか、

        いずれも場所を示す名詞であるが、

        坐は自分で決意して「坐る」主体的行為を

        表わす動詞であるからだ。


        白川静の『字統』によると、

        坐るという字は、

        土の上で人と人が向かい合っている姿を

        示しているとある。

 

私がヨーガを習い始めて6年目になる。

身体が固くヨーガのポーズはなかなか決まらないが、

呼吸法は坐禅と全く同じで十分役立っている。

(人間ドックの胃のバリューム検査で呼吸が楽にできる)

 

ブッダは当時禅定の第一人者と言われていた二人のバラモンから、

無所有処定(心を静めて何らこだわるところがないという禅定

(精神集中のヨーガの瞑想))と、

非想非非想処定(何かを心の中に思っているのではなく、

また思っていないのでもないという禅定)に学び、

すぐに師と同じレベルに達した。

 

そもそも坐禅もヨーガから出発しているのだから、

当然のことであった。

 

たまには家でもヨーガの瞑想をしてみよう!

 

2022年3月6日

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。

    「啓」は「開く」、

    「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」

  意味で、

    「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」

  (広辞苑)という意を示す。

  春の季語でもある。

 

政府は、

31都道府県に6日まで適用している

まん延防止等重点措置のうち、

香川県など18都道府県は21日まで再延長し、

13県は解除すると決定した。

四国では香川県だけである。

 

四国88カ所巡拝バスツワーは16日に徳島5カ寺を

予定通り実施することになっている。

(同行二人…合掌)

 

北京パラリンピックが始まったが、

プーチンの侵略によりスポーツの祭典を

楽しむ雰囲気にはなれない。

選手たちが可愛そうである。

 

午前中は散歩。

 

午後は写経!