戦争は畜類がするにふさわしい仕事だ。
しかもどんな畜類も人間ほど
戦争をするものはない。
トマス・モア
イングランドの法律家、思想家、人文主義者。
政治・社会を風刺した『ユートピア』の著述で知られる。
大法官までのぼりつめたが
ヘンリー8世により反逆罪で処刑された。
没後400年の1935年にカトリック教会と聖公会で聖人となる。
生涯
ロンドンの法律家の家に生まれた。
1504年、下院議員選出。
1510年に
イタリアの人文主義者ピコ・デラ・ミランドラの伝記『ピコ伝』を、
1516年には『ユートピア』を上梓するなど、
著述活動も盛んになる。
1515年からイングランド王ヘンリー8世に仕え、
ネーデルラント使節などを務めた。
ヘンリー8世の信任は厚く、地位は次第に進み、
1521年にはナイトの爵位を授けられ、
1529年、官僚で最高位の大法官に就任した。
離婚問題を巡ってヘンリー8世が
ローマ教皇クレメンス7世と反目し、
ヘンリー8世はモアに助言を求めた。
3年間で6名の異端者を処刑するほどの
熱心なカトリック信徒であるモアは王に対し、
離婚を正当化するいかなる根拠も無いことを告げた。
一方、カトリックによる支配からの
離脱を求める王の主張は力を増し、
1532年5月15日にはカンタベリーの宗教会議で
ヘンリー8世を「唯一最高の首長」とすることを承認した。
モアは翌日に大法官を辞職した。
やがてヘンリー8世によるモアへの復讐が始まった。
ヘンリー8世の側近トマス・クロムウェルが主導した
1534年の国王至上法(国王をイングランド国教会の首長とする)に
カトリック信徒の立場から反対したことにより査問委員会にかけられ、
反逆罪とされて同年4月17日にロンドン塔に幽閉され、
翌1535年7月6日に斬首刑に処された。
この処刑は
「法の名のもとに行われたイギリス史上最も暗黒な犯罪」
と言われている。
遺体の首はロンドン橋に晒された。
ユートピア
『ユートピア』について最も厄介な問題の1つに、
トマス・モアがこの本を書いた意図が挙げられる。
『ユートピア』で紹介される
離婚や安楽死の容易さ、聖職者の結婚、女性聖職者などは、
信心深いカトリック教徒であるモアの信条の、
正反対の極致にあると見られている。
信教の自由についての概念は、
モアが異教徒、すなわちプロテスタントを熱心に攻撃した
大法官であった事実と矛盾する。
同様に、弁護士についての批判は、
モアが大法官であると同時に、
恐らく英国で最も力のある法律家であった
事実を基に書かれている。
また、ユートピアの共産主義的なライフスタイルは、
裕福な地主であったモアとは不釣り合いだが、
恐らくスペインによるアメリカ大陸の
植民地化に影響されたものであろう。
この時期のヨーロッパには、
インカ帝国などの共産主義が、
理想的な文明の話として響いたのである。
『ユートピア』はよく風刺と見なされ、
ヨーロッパの人々がいかに正直かといった
多くの冗談や余談が生まれた。
通常それらは、
質素かつ簡素なユートピアの社会と比較して語られる。
この本は当時の理想的社会
(医療費の無料化などの福祉政策の充実、
安楽死の容認、信教の自由、
弁護士の不在と法律の単純化、
ギャンブルや狩猟や占星術の禁止など)
が語られた著作なので、
モアが戦争を強く否定しているのは当然である。
この言葉は、
「平和で安定した社会で生活するためには
戦争があってはならない」
と、皮肉を込めて言っているのだが、
プーチンには通じないのだろうなぁ・・・・!
2022年3月1日
デコポンの日
1991年3月1日に、
デコポンが熊本果実連によって初めて出荷されたことから。
日本園芸農業協同組合連合会が制定。
3年ほど前に、畑に柑橘類の木を数本植えている。
その中にデコポンも1本あるが、
まだどれも実をつけていない。
いつ食べられるのだろうか・・・・?
午前中はヨーガ教室。
午後はゴルフの練習。
3月22日(火)のコンペに4年ぶりに申し込んでいる。
それまで、火・金の二日を練習に当てるつもりだ。
念願の100を切れるか・・・・・?