紅梅や一人娘にして凛と
鑑賞: 季語は「梅」ではなく「紅梅(こうばい)」。
白梅に比べて花期が少し遅いことから、
古人が梅一般と区別して独立した位置を与えたことによる。
句意は、それこそ紅梅のごとくに明晰だ。
早春の庭の「一人娘」の「凛(りん)」とした姿が
くっきりと浮かび上がってくる。
可憐にして健気。
他家の娘でもよいのだが、
作者にも一人娘があった(下に息子二人)から、
おそらく自分の娘のことだと思う。
このときに、彼女は十六歳。
小さいころには
「弟に捧げもたせて雛飾る」
のような面があって、
気は強いほうなのだろう。
というよりも、日常的に弟二人に対していくには、
気が強くならざるを得なかったと言うべきか。
むろん例外はあるけれど、
総じて兄弟のある「一人娘」のほうが
姉妹のいる「一人息子」よりも気丈な人が多いようだ。
一人息子には、
どこか鷹揚でのほほんとした印象を受けることが多い。
この違いは、どこから来るのだろうか。
兄弟への対応とは別に、
女の子が早くから料理など母親の役割を
分担するのに対して、
男の子は父親の代わりに
何かするというようなことがないので、
いつまでも子供のままでいてしまう。
そこらへんかなあ、と思ったりする。
「この娘なら、もう大丈夫」。
作者の目を細めてのつぶやきが、
聞こえてくるような一句だ。
『一輪』(1965)所収。
(清水哲男)
私は長男で男三人、末っ子が女である。
確かに、妹が一番気が強い(しっかりもの)ようだ。
我が家の梅の花も大分咲いてきた。
家の西側の川沿いの畑の白梅(樹齢60年)は亡き父が植えたもので、
毎年梅の実が沢山採れる。(今年は梅干しにも挑戦するつもり)
家の東側の紅梅(樹齢30年)は
息子が小学校卒業記念にもらって樹を私が植えた。
紅梅はあまり実をつけないが、
白梅とちがいどこか妖艶な魅力がある。
確かに紅梅には娘さんが似合う!!
2022年2月28日
今日は2月最後の日である。
二月は逃げる。
三月去る。
とはよく言ったものである。
年をとると人生の時計の針の回りが、
益々速くなてるいる気がしてくる。
まぁ、座右の銘である
「馬馬虎虎(マーマーフーフ)」(いいかげん・・・いい加減)
で、残りの人生を生きていこうと思っている。
午前中は集会場で卓球の練習。
午後は写経!



