菊人形問答もなく崩さるる
鑑賞: 季語は「菊人形」で秋。
漱石の『三四郎』に本郷団子坂での
興業の賑わいぶりが登場する。
明治末期の話だが、
この時期の娯楽としては相当に
人気が高かったようだ。
さて、掲句は現代の作。
菊師(きくし)入魂の作品である人形も、
興業が果てて取りかたづけられる段になると、
かくのごとくに「問答無用」と崩されていく。
丹精込める菊師の人形作りには「問答」があるけれど、
始末する作業者にはそれがない。
ないから、むしろ小気味よい感じで「崩さるる」のだ。
このときの作者には、
せっかくの人形を乱暴に崩すなんて
などという感傷はないだろう。
見る間に崩されていく場景を、
むしろ無感動に近い気持ちで見つめている。
仮に哀れの念がわくとしても、
それはこの場を去ってからのことにちがいない。
あまりにも見事な崩しぶりに、
感じ入っているだけなのだ。
ひどく乾いた抒情が、句から伝わってくる。
ところで、小沢信男に
「凶の籤菊人形の御袖に」がある。
「凶」だとはいえ、
そこらへんに捨ててしまうわけにもいかず、
持ち歩いていた御神籤(おみくじ)の札を、
そっと「菊人形の御袖に」しのばせたというのである。
なかなかに、洒落れた捨て所ではないか。
で、展示が終了したときに、
この人形をどさどさっと手際よく作業者が崩しにかかると、
なにやら白い紙がひらひらっと舞い上がり、
男の額にぺたりと張り付いた。
なんだろうと、男が紙を開いてみる。……。
「へい、おあとがよろしいようで」。
『去来の花』(1986)所収。
(清水哲男)
公渕公園で11月14日まで菊祭りが行われている。
菊人形仕立てはないが、
以前は富士山・瀬戸大橋などの大作も展示されていた。
終われば菊は出品者が持ち帰るのだろう、
後日、周辺を散歩すると展示していた菊を見かける。
見物人としては菊人形仕立も要望したいものだ!!
今度意見箱に入れてみようかなぁ・・・・・?
2021年10月25日
今日は一日雨のようだ。
洗濯物は昨夜乾燥で予約していたのでもう出来上がっている。
便利だし、タオルが柔らかに仕上がるので、気にいっている。
午前中は集会場で卓球の練習。
昨日、朝倉神社(吉谷(下・中・上)の氏神さん))の
社務について下吉谷の要望を聞いた。
午後はそれを織り込んで、
社務担当(案)を修正するつもりだ。
夜は集会場で月に一度の集金常会(中吉谷)があるので、
みんなと相談することにしている。
今までは3集落がそれぞれ一年間社務を担当してきたが、
高齢化が進んで年々実施が厳しくなってきている。
個々の負担を軽減し一致協力して今後もできるだけ長く、
朝倉神社守っていけるような提案にしたいと思っている。